読んだ本メモ
今年はあんまり読まなかったね、ってレベルで本読んでない。なんか落ち着かなくて本読む余裕がなかったね。
今年読んだはず。
人間一人でこんなことができてしまうんだ超有能。人間ができることはすごいっていう圧倒的な希望を読める。単身赴任と自分の家族呼び寄せだったり、仕事する人間の人生のワンカットもこんな人生あるんだなぁ~ って興味深かったです。子どもが小学生みたいなタイミングの年の若さで一国を変革。
あと、昔日の日本から生まれた人であって、今の人ではないっていうのがひしひしと。日本のいいところとして頭さえよければ大学に行って庶民も高級官僚になって階層移動できるようなこと書いてたけど、今じゃあないよなぁ。ルワンダ虐殺よりもずっと前のこと。
『賄賂のある暮らし』岡奈津子著
デカルチャー。日本とは違うシステムで公共社会動かすための、日本では賄賂としか言い様がない非公式なカザフスタンの都市生活の金の流れを紹介してくれる。日本が法治国家で賄賂無しの公正な世界かと言えば全然そんなことはなく、実体として邪悪があるわけで、最後のワンフレーズをネタバレしちゃってすまんけど、すさまじい言葉なのでメモらせてください。
公正、平等、安定、そして秩序。これらは社会主義時代を回想する際に、しばしば使われるキーワードである。現在の腐敗が「公正で平等なソ連時代」との比較で語られるのは、腐敗の本質が不公正な格差にあるとみなされているからだ。公式か非公式を問わず、あらゆることに十分なカネを払わなければ人間らしく暮らすことのできない社会は、「腐敗」した社会なのである。
『居住福祉社会へ――「老い」から住まいを考える』早川和男
衣食住のうち住って超金かかることに何の疑いもなかったけど、自助できないことは恥ずかしいっていう自意識だけでは解決できないよ~。な本。
日本には、ながい歴史にわたる「市民の居住の権利意識は国家の宝」などとは毛ほども考えない政府があり、市民の権利感覚を養うどころか抑圧し摘み取ってしまった。それが習い性となって、低住居数位順の放置、大災害に際しても自助努力を強いる政府、行政主導の街づくりなどに疑問を抱かなくなっているのだろうと思う。
公害などと違って住居の問題は個別=個人的問題として亜r割れるので、社会全体とのかかわりは見えにくい。また、住宅は企業の利益追求や土地投機、景気浮揚の手段として位置づける政治経済行政の姿勢が「居住の権利意識」を抑圧してきた、といえる。
『人間にとってスイカとはなにか』
良書が読みたい…っていう欲望で手に取りました。絶対面白くないわけないじゃん。あと私はスイカが大好きで毎日食べたいので。アフリカの荒野で、野生スイカのみで水分補給する生活を営むというその当時すでに失われつつある生活を、人類学者が記録してるんだけども、硬い読み物ではないので、フィールドワーク中の村に妻子を呼んだときのこととか、赤ん坊連れて電気もないところに呼ばれた妻子の人生…っていうとこでも面白かったです。
『人魚ノ肉』
エンタメホラー小説新撰組。人魚の肉を食べると不死の西洋怪物になるというホラーネタを、各種幕末の倒幕佐幕双方の人物が口にしてしまった顛末を虚実混交。ただでさえバンバン人が死ぬ時代に、ゾンビとかデュラハンとか足して暴れさせたら面白くないわけが無い。誰が何の怪物になるのか、キャラ物二次創作みたいでバタバタ転げ回るほど面白かったです。
私は新撰組にこの年になるまでマジで興味なくて、なんかのついでに読んだらヤベー面白さでした。キャラの濃い青春物なんだねぇ。このジャンルに人生狂った女がたくさんいるわけだわ。この本は新撰組モノの邪道だとは思いますが。
『絶滅できない動物たち』M・R・オコナー著 大下 英津子訳
人類によって 動物が絶滅に瀕しているっていうのは、30年前の子ども時代から変わらぬ罪だったわけですが、絶滅させないことはいいことなのかっていう問い直し。発電所を作って経済を発展させて貧困を解消するプロジェクトを差し止め莫大な費用をかけてカエルを絶滅させないことはやっぱりなんか変だし、本来の生息地が消滅したのに動物園で増やしてどうするの~の究極である解凍される見込みの無い遺伝子を冷凍した冷凍保存プロジェクト(現存)が究極ともいえる善行という価値観になってること。
『夜』エリ・ヴィーゼル著 村上 光彦訳
ホロコーストで収容所から生還した著者の現在から、過去へ過去へ、そして現代の現実へ。現実の、記憶の不確かさと、この圧倒的な悪を許す神とは何か。恐ろしいことに、著者の人生の魂の一冊なのに、私はすでにもう中身を忘れつつあるのが恐ろしい。私は確かに人類の一員だよ。
『人みな眠りて』ヴォネガット
若いときの、心に残るちょっといい短編仕事で書いた作品集なので、匠によるいい話。たまには読みたいじゃんこういうの。とっておきの必殺。
心を動かすことや、救いようのない人生にとって救いとは何か、後年はシニカルに扱うようになるけど、これは、他人を気持ちよくさせようとして書いてあるので。
『何も起こりはしなかった』 ハロルド・ピンター
『ハロルド・ピンター全集』
ノーベル文学賞受賞時の講演や、ニュースなど晩年近くに語った言葉を集めた『何も起こりはしなかった』と、全集で若い日のデビュー作から読みました。政治による抑圧、アメリカによる戦争は何ひとつ起きたことになっていない世界だよ、っていう、なぜこれは考えたくないことなのか、なんでこんなに不都合なのかってい今現在への政治的な発言と、数十年前の若い日の天才の作品集では、今の不安として、部屋に、自分のスペースに来訪する人が垣間見せる外の大きな力への漠然とした不安と見ないふり、個人を決定的に損なう瞬間を描く。
抜き書きメモしたいとこ。あんまりこの本の本筋ではなくて、ちょっとしたテク集みたいなとこですが。
戯曲は評論ではありません。また劇作家は、どんなことがあっても最後の幕では解決が現れることを期待するように我々が育てられて来たという、ただそれだけの理由で、最後の登場人物の行為についての説明や弁解を盛り込み、その結果、人物の首尾一貫性をそこなうようなことを、どれほど求められてもしてはなりません。(中略)こうなれば、劇ではなくてクロスワード・パズルになってしまいます。『ハロルド・ピンター全集』
しかし、やがて作者は自分が生身の人間たちを前にしていることに気づきます。それは、意志と独自の感覚とを持った人間たち、作者が変えたり操作したり歪めたりすることができない部分から成り立っている人間たちです。『何も起こりはしなかった』