追い出されました

サークルから追い出されました。見送る側を三回もやったけど、見送られるのは一回。いや、こんな寂しいのは一回で限界であります。
当日はほろ酔いだったので、あんま寂しいとか感じないで幸せなまま帰宅して寝てました。

思い出せば、大学一年の時はサークル掛け持ちしてましたが、モチベーションと金が続かなくなって、一番金がかからなくて、気遣いとか見得もいらない児童文学部に落ち着いたのでありました。絵本パートでラクガキしたり、本気で描いたり、のびのび絵を描いたのはマンガ描きだしてから初めて、あと美術の授業がなくなってから初めてだったと思います。当時のパート員さん方も、ちょっとひねった展開の絵本作るのが好きな人多くて、その生き様は部室の入り口の上のほうに貼ってある「今年の抱負」によく出てると思います。投槍さがスゲェ。部室のハンドパペットのジャクリイヌを命名したのもこのメンバーかも。あまりにもかわいくない怪獣のハンドパペットなので、最近は第2のマスコット「ぴよ」に座を奪われがちですがかまってやってください。
ちなみに来歴は、ジャクリイヌは新入生勧誘用に購入、ぴよは先輩が留学した時の身代わりに置いていかれました。
>私信・ぴよは最近になって勇士によりやっと洗濯されました。

で、大学一年生の私と言えばゲーセンであります。一年の時しか単位落としてないってくらい、自堕落でした。だって、学校のまわりゲーセンだらけだったんだもん。四軒は今より多かった。で、ゲーセン行くためにバイトという、なんかもうそんなことやってると死ぬぞみたいな生活。夏は体を壊しました。

で、復帰したら確か、読み聞かせをやりだしたんだと思います。自分の屑さにガマンできなくなり、何かちょっとでも役に立つことしたいよーというわけであります。子どもとかあんま深く考えないでやり始めましたが、読み聞かせ道は深い。結局一番馴染んだのはこれかもしれません。人がいなかったりとか、私も遅刻したりとか迷惑をかけたし、自己満足から始めたことでしたが、ないと大学に通わなかっただろうなーと思っています。
で、大きな存在だったのが、S君。うむ、初めて出会った常識人かも。コミュニケーションがうますぎ。彼と話して不快になる人間は地球上に存在しないだろうと言い切れるまでにイイ奴でした。勉強になりました。

で、人が足りないから入った評論ですよ。頭数合わせで、三年からいきなりパートチーフやったと思うんですが、すっげー楽しかったです。授業以外でレジュメ作るのがこんなにも燃えるとは。頭で考えたことが、大事なものになるのがうれしかった。カニグズバーグの評論は地獄を見ましたが、それ以上にきちんとまとまったし、読み応えのある評論集が出来上がって嬉しかったです。
で、ここから急接近で仲良くなったのがSさん。普通には仲良かったと思うんだけど、Sさんから5、6回は「アホめ死ね!」と思われていそうです。そのぐらい、ぶつかっては教えてもらうことばかりでありました。人として。
卒業旅行にいっしょに行く仲の友達ができてうれしいことでした。でも、迷惑ばかりかけてすみませんでした。

大学三年は評論パートを中心にまわっていたと言っても過言ではなく、評論の基礎っつーか文学理論とが児童文学系の評論読みまくっていました。児童文学って「児童」って頭がつくだけに、感想文みたいなガタガタのものもたくさんあるけど、評論で頭よくなる気分も味わえるような文章もたくさん読めて、今の自分の力になったと思います。そういや書き物仕事ももらえたし、評論パートさまさまであります。

いろんなパートを渡り歩いただけに、顔覚えてくれた方多いのに、こっちは名前出てこなくて恐縮然りなのでありますが、追いコンで話しかけてくれた後輩の皆々様はありがたいの一言です。
こんないい気持ちで4年間終わって出て行けるとは思ってもいませんでした。
初めて児童文学部で飲んだ時には、先輩の話がおもしろくてしょうがなかったけど、先輩の側になってからちぃっとはおもしろい話還元できたかなーとか、悪い人が減るのでこれから女目当てが寄って来たときに追い返せるか心配だとか、心残りはあるけどこれで風通しがよくなるってものであります。

これからまだ、何らかの形でつながっていると思うけどひとまずは、区切りです。