円谷のエイプリルフールが

円谷のエイプリルフールが、2ちゃんねる風、ひいては、2ちゃんねるのスレッドのまとめブログであるという、「円谷」と「まとめブログ」の機能を両方理解していないと面白がれないという仕様でした。

面白かったんだけど、なぜ面白いのかといえば、2ちゃんねるの面白さの本質をついてるような。

書かれる言葉が、「誰か」の言葉であると、なんでこうも強力に信頼できるんだろう。虚構であればあるほどに、何かを演じきっていることの面白さだというのを、暴露してた気がします。
演劇みたいな、装置なのかもしれんね。
そう思うと、演劇って、なんかすごいよねとか思ってくるのでした。セリフっていう概念、すごくね?ウソなのに本当以上なんですよ。
あと、当事者であるのに、俯瞰してるって、観劇者の視点でなくてなんだというのか。2ちゃんの、「書き込みを読みたい」って、自分が書いて、板の住人を演じているようでもあり、見ているようでもあり。無法地帯のようでいて、定型でフィールドから出てこられないもんなので、劇場みたいな装置のような。噂話よりも、演劇に似てる気がしたのでした。

どうでもいい話だけど、アダムとイブで、アダム一人ぼっちのときに、寂しいと思って神様にお願いするじゃん。多分、大事なお願いなので、1人でちょっと練習したあと、お願いしたんなら、その練習は演劇に他ならない。でも、練習しないで、ワーンっていきなり言っちゃうからこその無限に許されている無原罪。楽園追い出された後あたりに、多分、昔はこうだったんだよって、子孫に話すじゃん、そこは確実に演劇だと思います。演劇とは罪深いものよのうー、と調子こいてたとえ話を考え付いてしまいました。


まぁ、複製時代の何とかみたいに、ニセモノほど真に迫ってるようで面白いものはないというのが、よくわかった円谷エイプリルフールなのでした。