電車男

オタクの人は、オタクなことを「オタク」というけど、そうじゃない人は「オタク」に該当することを「マニアック」と言う気がします。アニメ紙袋持って東京駅歩いてる男を、妹(ギャル)は「なんか今日マニアがたくさんいたんだけど」と言っていたのが新鮮でした。で、オタクな私が教えてやろう、キャラフェスがあったんだよ妹よ。

「オタク」って言葉自体が本来の意味とはびみょーに違ったところで市民権を得ているような。

電車男が何でダメかって、「オタク」と「マニアック」の呼称のズレみたいな感覚がキモかった。
多分今更言うことでもないんだけど、オタク男をとことん社会不適合者として描いていることは、オタク=負け犬と演出したくて、オタクでなくなることで、彼女ゲットというサクセスストーリーを作りたそうなんだけど、エルメスが周囲からちょっとズレてる天然系と呼ばれる女の子だと設定しているので、フツーの視聴者、オタクの視聴者共に「こいつらは普通じゃないよ」「ありえねー」っていう傍観者の立場を強いてる。まぁ、連ドラをありうると思うほうがおかしいんだけど。
見てる人は、オタクも普通の人も、「オタク」についてお互いの認識の違いを見てみたいだけなのかも。オタクの人は、「民放で放映されるオタク」を見たいし、普通の人は「マニアックな人」が見たいし。
オタクとフツーの人を分けてるんだよね。何が気に食わないって、ネットでつながっている人をいろいろな立場の人として描いているんだけど、ほとんどが滑稽なまでのオタク像でした。オタクを売っているんですよこのドラマは。オタクを陳列して見世物にしてるんですよー恥ずかしいなぁーもー
電車男の本は、オタクと普通の人が、同じ言語をしゃべって同じ目的に向かってる面白さがあったんだけどなぁ。そうじゃないと、オタクと普通の人の架け橋にはならなかった。・・・だけど、こういうオタクと普通の人の恋愛が成立するという幻想が、オタクに心地よいから売れた、という点も無きにしも非ずでありましょう。電車男の本買ったオタクと、普通の人と、楽しみ方は絶対違う。本の電車男に幻想を持ち、ドラマ電車男を中国人が演じているニンジャを見る楽しみ方と同じように見ている私はオタク。
外資系企業に勤めるエルメスさんの同僚がJUNEとかジャンプ801やってたら、オタクも社会に溶け込めるんだぞーみたいな建前になって、オタクには心地よい展開かもなー。