買い物考

「買い物する」という行為が、物を手に入れる手段なのか、それ自体が目的になってないかそういう話。
今年、冬が来る前に冬物を出す時間がなくて、10月半ばまで夏物を2枚着るとかで過ごしてしまいました。体調崩した原因の一つです。確定。で、服を買ったりしました。

節約は美徳ですが、節約するってのは、まぁ、ちょっと苦しさが伴うわけですよ。節約で苦しくなるものなんて瑣末時ですが、そことお金を引き換えられるかで天秤です。

お金を使うと、まず、自分のための安楽と、引き換えられました。IH圧力炊飯ジャーで炊いたお米はおいしくて食が進むし、大女なんで服にコンプレックス抱きがちだったんですが、金出すと肩と袖がぴったり合う服あるんですね。あらまぁ。冬用にパイル地のシーツも買ったら、あら快適。

で、こういうものを犠牲にして節約して、お金を趣味につぎ込んで、そこに自己実現を見出すってのが、わりと今までの立ち位置でした。衣食住は貧乏だけど、心と未来は夢でいっぱいみたいな。
しかし今がんがん金使っちゃうってことはつまり、今、展望がとても空虚なのを埋めるために、現実に金使っちゃうってことかもねー
とか思ったりもしましたが、そういうことじゃなくて、現実の安楽も楽しみつつ、趣味に燃えてればいいんだろうけど、今までそういうバランスになったことがないので、どうも調子狂ってます。


夢はお金と引き換えられないし、全く別物なんだろうと思うのに、微妙に癒着があるように思ってしまうので、お金に困ってないとイマイチ燃えないのかも。えー
ほら、成功するっていうと、ビッグマネーがカモンカモンなイメージがなきにしもあらずじゃないですか。
だいたい夢と成功がイコールなんて意地汚いのは、つまり、これって、私の価値観が高度経済成長とかバブリーな時代の庶民なかんじの古い廃れた考え方に毒されてて、今流行りの誰かのためにつくるとか、自分のためにとか、とにかく人のためにみたいなものにシフトできないから困ってるんだと思う。人って言っても、評価とかじゃなくて、好きとか嬉しいとか、人の感じ方を大事にできるかってことだと思う。
もしくは、正反対に、人なんかどーでもよくて、技術の向上にのみ純粋に貢献することに満足を得るみたいな、単純で硬質な気持ちになりきれないです。前はこっち目指してましたけど、なんか脳の構造とか根本的な理由で無理そう。


バランスが狂い出したのが、今まで趣味で集めていたものを、ばーっと売り払ってお金に代えてしまったことからでした。はっきり言って、かなり金になったけど、自分好きな方向に成長するために投資してきたものを手放した後、なくなった物につられて、リセットされてしまいましたとさ。
お金があっても、趣味の物と引き換えても幸せになれない。で、物が大事にできなくなって、趣味で物を作ろうとか思わないのさー・・・
物に依存しすぎず、体の安楽さにも傾かずに、バランスを探っていかないといけないんだと思うけど、まだうまくいってないです。CDとか音楽は、体の安楽と趣味の微妙な接点にあるので、いまだにCDはあんま捨ててないんで、そのあたりから回復したり再構築していくといいのかも。



ようは、ダラダラ過ごしてますよという話でした。なんてこった!我ながらすごい的を得た要約!