『グレート・ギャッツビー』フィッツジェラルド 村上春樹訳

翻訳はすごく好きなのでした。でも、思えば、書く話が嫌いってのはよくあるけど、作家が嫌いってそんなにあることじゃないな。むしろ、今の人だとこの人一人くらいなんじゃ、と思うと逆説的に作家っぽい作家だと思ってるのかも。なんか、小説の作家とかみな好ましくつつましい隣人のようなタイプばっか見てきてるような。

偉大なるギャッツビーという訳で読むこともなく、いきなりグレートギャッツビーを読みました。もったいなかったのかも。どうでもいい誰かの主観を的確に鮮やかに魅力的に、とても美しい読み物に。びみょーな不機嫌がわだかまってる感とか、終わることがわかりきってる超テンション高い時間とか、すぐに薄まって思い出になってしまうのに、とにかく鮮やかでした。本すげぇ。タイトルが超華麗で、あらすじも、超華やかな社交界に現れた謎の若い大富豪ギャッツビーが夏の夜に開く虚飾に満ちたパーティに・・・みたいに派手にしか書きようがないんだけど、そんなことより、季節とか若さとかうつろう人間関係を超絶技巧で書いてるっぽくて、読んでるやたら疲れました。華麗なんで面白いんだけども。

どうでもいいけど、訳者あとがきが、ハリポタ1巻と並ぶほどいけすかねぇんだけど、そのへん含めて、作家は訳した本!で面白かったです。やっぱ作家のあとがきは、おまえが書いたんじゃないだろ!みたいな個性たれ流しで不快になってなんぼです。ハリポタのあとがきは紙の無駄ですが。