『内田百○』○は「門」の中に月 ちくま日本文学の文庫

何回か読んだことあるはずなんだけど何回読んでも、焦りまくるかんじとか、不機嫌さが面白いです。結構深刻なのに不快じゃないっていう。出来事自体は生きた死んだのギリギリの線で、やってることも超自分勝手なのに、どこか楽しく読めてしまうっていう。これが小説っていう媒体で娯楽要素なのか。

あと、今回気がついたメモ。

「そうじゃない、この家の外が静かなのさ」
「本当ね、しんとしているわね」
「しんと云う音が聞こえるだろう」
「あら、そんな音は聞こえやしないわ。何も聞こえないから、しんとしてるのじゃないの」
『山高帽子』

昭和4年初出。「シーン」っていう擬音がマンガで画期的に、シーンって言葉ごと発明されたのかと思ってたけど、すでに用法としてはある言葉だったんですね。ここで発明されたんじゃなくてもっともっと古そう。

「ここの人はみんな割合に達者ですね」とある教師が云った。
「死ぬ程生きてる人がいないからさ」と私が云った。
『山高帽子』

どうでもいいけど、クロノトリガーのエイラのキメ台詞の「死んでないだけ!」っていう用法も昔からの概念だったんだなぁって。