『どこ行くの、パパ?』ジャンルイフルニエ 訳河野真理子

ユーモアって「笑ってもいいよ」っていう態度を示して人とつながることだと思うんです。この本、品位ある質の高いユーモアで作られててすごいの。自分のこどもの重い障がい児二人についての思い出を「さあ笑ってよ」。これね、その人だけの気持ちをわかってほしいって欲望のコントロールがすごくて、人を楽しませる文章であることの線引きがストイックで、1回目はまともに読めませんでした。泣いちゃう。2回目は泣かなかったけど、2回読みたかったのだ。「私は悲しかった」と書くことが人に悲しみを伝えることではない、となんだか久々に思ってしまいました。喜びも同じく。

友達から聞いたフランス人の思い出は、父親の写真が傘をさしてる理由ついて「面白いから」と答え、私の知ってるフランス人はドリフの志村けんのばあさんがスイカを食べるところが好きでVHSに録画したの見せてくれました。ユーモアと傲慢さって紙一重で、普段生きてる社会だとあんまり余裕なくて受容しがたいことあるんだけど、ユーモアとか余計なものあったほうがいいね。

>2016/9/10追記
前書いたときの感想が、本のテーマ故に結構ビビって表面的だったので。

フランス人らしいと言ってしまうとステレオだけど、この残酷にも思えるユーモア感覚が当事者であるから批難されない、というところに尽きるのかもしれない。

一番印象的だったのが、大人気コメディアンと、息子がいる障碍者施設にいったときのエピソード。スーツを着せれば銀行にいそうな外見のおじさんが、壁に向かってひたすらうんちうんちうんちとささやき、おかしな行動をしてるのに誰一人笑われない、そんな人々がいる場所を「全てが許されている」と書く筆者。コメディアンは非常に衝撃を受けて、この施設に寄付するようになった話。
善悪とかじゃなくて根源的、言葉になる以前の情動のような聖なるかんじあった。

聖なる、といえば修道女の親戚に見せに行く話も、圧倒される聖なる記述だったように思います。文字列の感想には結びつかないんだけど、ただただ大きな存在を感じるような。

痛ましかったのは「私たちのアルバムは海の鰈のように薄っぺらい」という一文。
私、自分たちの写真って、あんまり取らなかったんですね。むしろ容姿コンプレックスがあって、写真は撮りたくない派でした。結婚式の写真でさえも飾りたくないもん。でも子供の写真は撮りたかった。だから本当に痛ましいものに思います。