パシフィックリムがどれだけ好きか

パシフィックリム2の製作が滞っているらしくて悲しいので、パシフィックリムについて書きます。
2は双頭か双面の怪獣が出るね!絶対!
でも、私はロボットが好きで好きで、最初の10分のロボ起動シーンで滂沱の涙を流し、EDでも涙がこぼれるほど好きなのでロボットの話をします。別に話し相手が目の前にいなくてもひたすらしゃべり続けていいんで、いやーブログっていいですね。


私は子どものとき、ガンダムはGにWにVとか面白い奴ばっかやってたしマクロス7だってやってたのに、鉄甲機ミカヅキビッグオー→Gロボ→鉄人28号(今川版)ついでにアイアンジャイアント(米の児童向け映画)と、なぜか♪くろがねの〜しーろーの系譜の巨大な鉄塊系ロボばっかりの青春を送ってしまいました。同じルートをたどった同世代は、まあまあいるんじゃないでしょうか。

実写ジャイアントロボや、ウルトラマンのキングジョーといったテレビ黎明期に提示された巨大ロボを好きだという世代が作った巨大ロボを見て育ったのです。
スクリーンの空を背景にして、砂山に、プールの海に立つ明らかに人間が入ってるフニャフニャしたゴムスーツのロボットが表現したかった、ビルディングに紛う巨大な鉄が緩慢に動く恐怖と驚きのイメージを、より洗練された手段表現された映像作品として受け取れた世代になります。。
ビッグオーで描かれた、破壊されたアールデコ調の都市に伸びる巨大なシルエット、Gロボが海に落下し巨大な鉄塊に大量の水しぶきが上がる素晴らしいアニメーション、そういった巨大な鉄人が動く非日常に魅了されてこの種のイメージのとりこになってしまったのでした。
いくら人型でもロボットのサイズがあまりにも大きいことで、これらのロボットは人間とかけ離れた異形と化します。擬人化や、個性はなく、大地にそびえる超重量の機械として。
人間や建築物と同じ画面にあってロボットのサイズが強調されるシチュエーションに、巨神のように振る舞う聖性を感じていたといっても過言ではありません。

しかし、予算だったり、スタッフの力不足でコントロールがなされていない画面だったり、時々子どもでさえ我に返るくらいの隙間があるもので、気恥ずかしさからは逃れられませんでした。つまり、どんなに自分の好きなところがあっても、友達にはおすすめできない。Gロボだって、アニメーションは素晴らしいけど話は相当ヘンだよ。ヘンすぎるよ。
巨大さの表現ゆえに壮大になるBGMも素晴らしいんですが、素晴らしいシーンにも、素晴らしくないから目をつぶりたいシーンにも平等にかかるので、大げさに感じて恥ずかしくなる瞬間もあります。
都合の悪いところは薄目で見ないフリ!をしつつ、素晴らしい部分の唯一無二の得難さを、誰か他の人にわかってもらおうというのは無理ってもんでした!



パシフィックリムは素晴らしかったです。
恥ずかしくない。もう何にも恥ずかしくないし、友達といっしょに映画を見に行けるぞー!

まず、何もかもが夢見たことのあるイメージでした。
オタクなら全部見たことがあったはず。タンカーで殴るシーンもキングジョーがやってるし、巨大ロボを整備するドックも、巨大ロボの海戦も何度も何度も見たし、ビルの谷間にガオー♪だし、パシフィックリムにイマイチ熱くなれなかったオタクに聞いたところ曰くの既視感の塊。
しかしそれらの何度も何度も見てきたイマジネーションが、夢以上ので超ディティールで表現されていたのが、私には信じられない思いでした。
あれさえなければ… というものが全然思い出せなかったです。ストーリーとかおまけ以外の何物でもなく、邪魔じゃないというだけでもう素晴らしい。ロボが出てくるだけでいいのに、ミカヅキのロボ格闘戦が超素晴らしくても、最後10分のロボ戦以外を占めるあのBPOにもひっかかった生理的嫌悪を招くストーリーいらない…
3D映画初体験だったので、見るもの聞くものの今がすべての圧倒的な情報量に、脳みそに保存された過去が再生されるヒマがなくて、それはもう全部初めて見る巨大ロボしかなかったです。
他の3D映画も見たところ、高速で飛び出す映像よりも、巨大な質量がゆっくり動く映像は人間の知覚と相性がすごくよいようで、この映画だからこその体験に迫る上映だったと思います。

今までのロボ戦は、映画全体に占める割合がものすごく少なかったんです。全体の尺に対して5分の一くらいのロボットの映像を目当てに、あとは全部見ないフリをしていましたが、パシフィックリムはほっとんどロボットが戦ってて素晴らしすぎます。戦っていないシーンはロボが戦う期待感と緊張で張りつめてて、ロボットが戦うシーンのために全てが収束しています。ロボが戦うシーンを何かの目的を実現するための手段にカモフラージュする必要なんかないんだ!ロボットが戦うシーンを見たい!というストレート且つ子供じみた要求を全肯定してくれました。

また、ロボットにはパイロットも欠かせない要素ですが、登場人物にパイロットであること以上のドラマを要求しないのも、まったくストレスがない作りで目からウロコでした。そうだよこれでいいんだよ。子供から大人へ成長しなくていいんだよ、パイロットになるのが目的なんだよ。徹底的にストレスになる要素を排除していて、ドラマもへったくれもありません。
ロボットへ感情移入させたり擬人化をしないバランス感覚も、ロボットの機械兵器としての魅力を引き立てます。機体を乗り捨てるラストだって、ガンダム最終回のラストシューティング(ロボットは乗り捨てて人間同士で決闘)のようにロボットが好きな視聴者を裏切る挑発もせず、兵器として必然の結末を描くだけです。先行作品でもうすでに起きたこと描かれたことについて、批判精神を殺して、過大に観客の感動を求めないバランス感覚がいい。もう見たことあるでしょ、って。

ロボットのデザインについても、既視感から外れる新規性はちょっと長い脚部くらい。私は主人公機が好きなのでジプシーデンジャー、同行者のオタクはACやマクロスのラインが好きなんでエウレカが好きでした。エウレカがちょっと全高小さいのも最新鋭機ってかんじでカッコいいですね。チェルノは成田亨的な非人間頭部のデザインで狙いすぎと思いつつもレトロでいいし、人間や生物ベースでは表現できない腕三本なんて奇数多腕が醸し出す奇形と物量で強そうな感じもたまりません。
この、「カッコいい感じ」というキッズかよ!みたいな玩具感が大事なんです。パシフィックリムのロボットは、これ1本しか出演作がなくても、どの機体もものすごく印象的なロボットになりました。リアルな兵器を見たいけど、私が見てきた巨大ロボはみんな玩具でしたから。なお、この映画1本に対してNECA社がロボも怪獣も全部ブリスター出すつもりで、もうオオタチベビーまで出た熱さの持続をお伝えしておきます。ジプシーなんて何バージョン出たことか。まだ出そう。
余談ですが3回目くらいに、いっしょに見に行った女性は、ジプシーデンジャーとエウレカの区別がつかないまま見終わってましたが、面白かったそうです。


自分で書いてて、果たしてこれは映画としてはどうなのか、と思いますが巨大ロボットの夢を見たい人が見る映像作品としてはほぼ完璧な回答でした。機能としての映像作品というか、これは独特の要求に応えた映像作品であって、映画としての体裁を持っているのが奇跡のような作品です。類似としてリアルスティールトランスフォーマーなど、ロボットがリアルの中で超絶ディティールの映像として見られる映画はありますが、あれは映画です。ロボットが出てくるまで我慢して待つタイプの、今まで通りの映画でした。リアルスティールは、主演はヒュージャックマンだし、ロードムービーとしてドラマの出来も良過ぎて映画過ぎて、それはそれでロボットものが面白い大作映画になった!という古の不満に承認欲求は満たされるのですがあくまでも映画。


後で思い返すと、怪獣に握りつぶされたのは戦闘機はF22(2005〜)でした。今まで同じシーンで見てきたのは全部F15(1976〜)でした。またはセイバー(1947〜)。
これには、私の時代の映像なんだな!という感動がありました。2がもし作られても、1は永遠のスタンダードのになることでしょう。私は何度見ても、もう一度見るのが楽しみです。これは、新しいものを開拓しない堕落ですが、この堕落してる時間よりもいいことがこの世にそうそうあるでしょうか。
字幕だと1レイヤーを字幕に使ってしまうので、日本語吹き替え3D上映を年に1回くらい見られたらと思いますが、3D映画館の?落しとして去年上映されていたのでこの願望もかないそうです。

自分が好きなものを自分で見られればそれでいいという究極に満足してしまったので、パシフィックリムはものすごく面白いので3Dでやってたらみんな見よう、という投げやりな〆で終わりたいと思います。