『ぼくはアスペルガー症候群』

ああーいるわーいるわー こういう人いるわー
という。自分はこういうタイプじゃなかったな、というのは境界性人格障害に続いて確認できました。わかるところも、共通するところもある。いるわー。こういう人。いる!

幼稚さ、とくくってしまうと気分を害するんだろうけど、子どもの発達過程の一段階のような自己中心的な視点しか持てないっていう特性に、大人になっていろいろな能力を獲得(学力や身だしなみだったり、会社に出勤することだったり)して一見フツーに見えるけど、どのような困った現われ方するのか、このアスペルガーである著者が書いたテキスト自体への違和感でよくわかりました。私から見ると、すげームカつく文章。だが気持ちはわからんでもない。
ウソはつかないけど、融通が利かないから至上命題を達成するためには、常識や善悪で止められずにどんな悪いことでもしてしまうってのは、周りが気を付けてあげないといけないわけだ。
他人のことより自分のことしか考えられないっていうことになっちゃうので、極論なにかの行き違いでものすごく恨んで逆恨みの正義面で殺人とかしても反省する能力自体が無いわけ…。この正義の人を裁くことは、誰にもできないわけ。
カルトなんかにもハマりやすそう…。

ただ、こういった特性があっても、その人なりの喜びや悲しみや、恥や苦しみはある。楽しいこともある。っていうのは隣人なのでよくわかる。
正直に言うと、こういう特性の人は、慣れ親しんだ環境の学生の延長として教師を目指すと、お互い不幸でしかない。人の事情には配慮できない設計の人間に教えられるのって…教師目指してたとか書いてあって落ちてよかったなあと心底思いました。理不尽と暗黙知の社会より、学校のほうが生き易いから、学究の徒で生涯を全うするのが幸せだろうなあ。
並行して、科学の雑学本読んでたら、この本みたいなエピソード満載の科学者たちを見るので、人類のフロンティアに近しい特性でもある。でも、この著者みたいに今の時代で評価されるような取り柄もとくになく、社会から疎外され気味だけってのもある…人類のこのグラデーションで生物として続いてるってのあるんで、そういう特性は必要だっていう受け入れる場所が自他に必要なのです。この、隣にいたらムカつく共感も反省もゼロの人間にも絶対に必要なわけ。私とはムカつくだけの関係だけど、家族がいたり仲良くしてる人がいるかもしれないし、いなくたって自分だけの楽しさや喜びってのがあるわけ。こいつが私にわけわけんねーな!ってムカついてるかもしれないわけ。

言われた仕事を作業してれば生活できる、そしてそれも社会の一員だという尊敬があるっていう仕事があればいいんだよね。職人みたいな。問題はその指示待ちで同じこと続けるっていう特性が、今の社会でお金的にはマイナス評価だっていうことで、お金=人間の価値で見られがちっていう。
共産主義ってアスペルガー傾向の人が考え付いたのかもしれない。