[映画]トト・ザ・ヒーロー

アメコミ映画じゃないよ。
産院の火事で隣の家の裕福な子と取り違えられて、人生を盗まれたと思っている老人が、死を前にして復讐に燃える。ちょっとミュージカルのようなコメディのような、フィクションの強い形式を持って描かれる映画。
何とも言えない余韻が強い。

フランス映画だなあ。主人公の爺さんも善人ぽい始まりだけど、見てる人が望む正しいことをやるわけじゃない。
自分の人生の数々のよかったこと、悪い事、不幸に愛、それに自分の過ち、いろいろなシーンは、今は爺さんである私が思い出しているそれぞれの自分の姿であって、過去ありえたかもしれない可能性のうち他者の眼で見た自分は画面には出てこない。気が付いてみれば、事実も夢も妄想も、爺さんの主観だけという当たり前のおかしみと人間の切ない愚かしさ。
相手の裕福ないじめっ子の男の子が年老いた姿で「自由に生きているお前がうらやましかった」という言葉も、衝撃は与えるけれども「私」が覆るわけではない。今の私は、昔の私ではなく、私は私。
爺さんの人生を肯定して満足したようなシーンの後で、なんと最期はその復讐の望みどおりに裕福な子の身代わりになって死ぬことを選びます。その後、予想を裏切って突然高らかに鳴り響く爺さんの哄笑ので呆気にとられて気分の悪い事!
見てる人じゃないんだよ爺さんは。爺さんは爺さん。
火葬場へ行くシーンでの「シボレーにやっとのれたぞ!」の意地の悪いジョークから、空葬でまかれる遺灰が「空を飛んでるよ!」素直な喜びのセリフを最後に、老人の哄笑が子どもの無邪気な笑い声へ変わっていきます。
ラストは無邪気な笑い声が転がる中、模型の船を来たところへ返すようにそっと押す女性の手。この手は人生の中の愛する女たち母や姉や恋人の誰かではなく、それら愛の全てでしょう。
あったこと、ありえたこと、何も持たずに、生まれたときと同じ姿になって彼は還っていく。
映画の中で印象的な数々の炎に象徴される偶然の不幸と肉体の死、対照的に海の彼方より来て海の彼方へ去る。でも、それは玩具の船なんですよね。この生の矮小さの寓話感で、何とも言えない余韻でした。

あと、姉役の子がものすごくキレイな子。フランス人こういう子が好みなのか…