『洟をたらした神』吉野せい

今まで筆をとったことがなかったおばあちゃん農婦が書いた文章…みたいな紹介だったんですけど誇張もいいとこですよ、作者めっちゃ文学読んでるよこれ。表題の洟をたらした神にしても、プロレタリア作家黒島伝治の「二銭銅貨http://www.aozora.gr.jp/cards/000037/files/646_22355.htmlとか引かれてるじゃん。あれ後味悪いよね!
というわけで、一切手加減なしに、ものすごい文章でした!!!素人じゃありません!!!

小学校教師時代の山村暮鳥への師事、詩人グループに属する夫との愛憎の貧困開拓農民としての一生、夫死後70歳を過ぎてからの、ほんの短い執筆期間。
プロレタリア文学、農民文学、どちらの近くにもいて、その限界も見て、苦しめられた人だと思うんですね。
金のためでもなく、虚栄のためでもなく、気負いもなく、持てる全てで自分の人生のために書かれた文章。こんなだらだらしたメモなんかと文章の重さが違うんですよ。
文学の経験値もめっちゃ積んでるっぽいので、技術もある。でも、当然技術のための文章ではなく、もっと生き方や経験、命といった全人的なものによって書かれている印象です。変な話、この前読んだ神父が布教に燃えて原住民の言語で神を表せないことを理解してついでに無神論者になったピダハンみたいな、人生の凝縮した一冊で唯一無二。

最初の「春」がとてもよかった。一文一文全く読んだことない文章で、ものすごくよかった。
数十年前の、自分の子どもたちのことを昨日のことのように書いた文章など、老齢になってから書いたんだと思うと、人生の楽しい時間っていうのはそれなりに毎年あるんだろうけど、やっぱり一番楽しかったとき、っていうのはあるんだなあと思います。山村暮鳥じゃないけど、「こんな老木になっても 春だけはわすれないんだ」だなあ。