『侍女の物語』マーガレット・アトウッド

ディストピア小説『オリクスとクレイク』が面白かったんで、同著者の有名なやつを。1985年発表のディストピア小説でして、とても視覚的に綺麗なイメージなんで、映画になってそうだな〜と思ったら音楽坂本龍一で映画になってました。それっぽい。

不妊の高官に派遣されて子を出産をする「侍女」という女性がいる社会制度を描いたディストピアで、なんでそんな社会になってしまったのか、彼女たちはどうして侍女という地位につけられているのか、侍女当人の語りで暴かれていく。いやー恐ろしいですよ超キモイですよ。そして、侍女当人が語るという体裁の枠文学でもあるので、女性の心、女性をテーマにした小説でもあります。

SFで、女性が女性らしい語りをするのって主流ではないお約束から外れたもので(ル=グウィンジーンウルフくらい。あと笙野頼子。)たまにこういうのに当たると異常に居心地悪さを感じます。
不妊の高官に派遣されて子を出産をする「侍女」」ってサラっと制度の概要書きましたけど、環境破壊やさまざまな要因で不妊と人口減が進んでいたであろうアメリカらしき国で、キリスト教原理主義のクーデターが起き、ゆるやかに女性の就労と口座凍結があり、そのうちに宗教で再婚や事実婚の子あり夫婦が違法になり、子は取り上げて、子が産めることが証明されている女性を「侍女」としてエリート階級の出産に使う。侍女としての矯正教育、あらゆる権利が剥奪された人間の淡々とした日常、女性が女性を支配する階級制のさらに上にある権力を持つ男=植民地支配モデルとか、宗教国家のディティールが想像力と現実の狭間くらいにある強烈なイメージでした。良い世界…
不倫や中絶、性的退廃の道徳的な罪の源を女に見立てて排除したディストピア
女の世界ってことで二重にかけ離れたSFだろうなと思います。あと、こういった女性小説に男性読者が存在するっていうのもSFの特典だろうなと思います。

ディストピア小説としてはすべての権利をはく奪された人間としての女性、けれど女性小説なので、女性が抑圧される被害者という型にはまった善人ではなく、過ちや傍観の主体であったり、個人的な欺瞞や嘘も混沌とした時制で描かれています。人間だもの…
女性の一部だけをモノ化するディストピアとして、セックスアンドロイドが流通している社会を描いたイアン・ワトスンの『オルガスマシン』があるけど、男が欲しいセックスは出産とは切り離されていて、それを搾取される女が反撃に出るんだけど、ここに描かれた搾取されるセックスは出産を主体として、男の性的幻想の否定とある種の女の領域の確保でもあって、女性の人間性の放棄に共犯者である視点まで踏み込まれてます。女性が書き手だからかな。どちらかの性を外側の存在としてではなく、関係として書かれてるんで。

破綻の近い不完全なディストピアとして書かれていることが救いでしょうか。