弱いロボット 2

足元もおぼつかないロボットがよろよろ泥仕合するナイスコンセプトのヘボコン見た後に、嗜虐からたまに検索してしまう弱いロボット。

“桜の咲く公園でひとりのおばあちゃんがぽつんと立っていたのです。そして、小さなぬいぐるみのロボットを抱っこしながら「きれいだねぇ、ねぇ、きれい、きれい」と桜を見ながら語りかけていたのです。その姿を見て、ロボット研究者として申し訳ないことをしてしまっているのではないかと、いたたまれない気持ちになってしまって。なにかとても痛々しいものを作っているのではないかと感じたのです。そのまま突き進んだら、「おばあちゃんをどう欺くか」という研究になってしまわないかと。”
http://article.researchmap.jp/tsunagaru/2015/10/

印象的な言葉でhttp://synodos.jp/science/18044のインタビューでも引用されています。
ディックの「人と物の違い?人と物のどこに差があるっていうんだよ」とは違う種類のヒューマニティ。

ロボット研究者ってどっちかっていうと、人間を分解して分解して機能にしてしまった上で人間の摸倣してワーイとか、人間ではない能力がゴールだったり非人間的であることをよしとするところあると思うので、異端だなあと思いました。
人間が嫌いとか絶望してたりするSF者の系譜からは外れたところで、生まれたロボットだ。人間の幸せをつかむと同時に、人間の苦しみや不幸も背負うのだなあと思います。人間が人間ぽいものを作ってどうするのか、どうして作りたいんだろうなあ。弱さを模倣することは、何になるんだろうなあ。サーカスに売られたアトムや、見捨てられたかわいそうなロボットたち。