『死すべき定め――死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ 原井 宏明訳

人間はいつか死ぬ。
その「いつ」が迫ることに気が付く瞬間から、ほんとに死んじゃうまで時間があるわけで、でもその間なにやってても、絶対に結末からは逃れられない。
生まれたての赤ちゃんと同じように、生きているために他人の助けが必要な期間っていうのが死ぬ前にはある。悪でも非日常でもなく、介護が必要な状態になるって人生の自然現象なんですよね。ほんとは。介護される期間がが長いか短いか、若くして病に倒れて死ぬか、年老いて体が衰えて死ぬか。
死ぬって究極に嫌なことだから無視されがちな、死を前にした人間という永遠の課題に、医学と科学とルポから、愛情とかヒューマニティもって書かれた本。

もう死にそうって突然起こる非日常なもんだから、本人も周りも混沌のうちに時間切れになってしまって後悔をより深くしてしまう。もっとよくしたい、その試みを、老人ホームや、自宅ホスピス、癌患者、死にかけている自分の父…いろんな人に取材します。
宗教かスピリチュアルか、そういう領域じゃなくて日常から続く自分の側に取り戻そうとしているようにも思えます。死が日常から遠ざけられてるとはよく言う言葉だけど、実際に取り戻すにはどうしたらいいか、それによって何が変わるのかって。そしてそれは、昔のやり方に戻ることではない。

今、死にかけると病院に入るけど、当人も周りもなんだか不幸な状態に陥ってしまって満足できずに苦しみのある死に方になりがちっていうシステムは、人間はやがて衰えて死ぬっていうことについてよく考えられていないから結果的にこうなっちゃっているものなのであって、治療できない状態の医学の成功の基準はどこか、とか、今ある手持ちの札を変えずに、最後まで幸せでいられる時間を作ろうっていう。じゃあ幸せってなあに… 少しずつ整理していく。著者はお医者さんなので、治療の失敗が死、という恐れから医学を解き放つということでもあるわけです。

印象的なエピソードは、癌手術すれば四肢麻痺になるかもっていう親に、何をしてれば生きててもいいかって聞く人いたんですよ。子供は手術を受けないほうが幸せだと思ってた、でも親は、チョコレートアイス食べて、フットボールが見られたら、手術して後遺症で苦しんでも生きてていいって答えるところ。生きるに値すること、耐えられないことはそれぞれ。知ることで、見送る子も望みをかなえられたと楽になる。

この前読んだキュブラー・ロスの死の受容説は完全無視。自伝面白かったんだけど、結局最後はスピリチュアルで特別な方法にしてしまったってことなんだよなあ。あれがずっとメジャーってわけじゃないんだなと。
あとやっぱ癌は大変だ。痛い、苦しい病気。

1冊の本としても完成度が非常に高くて、読み応えある本でした。去年のベストセラー。