『最初のRPGを作った男ゲイリー・ガイギャックス 想像力の帝国』加藤 諒編集 柳田真坂樹、桂令夫訳

この本はゲームが好きって人しか手にとらない気がするんだけど、アメリカ文化史、作家の伝記として面白かったです。2008年にまだ死んだばかりの人。

どんなことにも始まりはあるもので、RPGの始まり。大昔からあったわけじゃなくて、新しい文化。テーブルトークRPGボードゲームは、時間と知性、そして同じスペックある仲間が必要で、高学歴高スペ高等遊民オタクの遊びとして憧れつつもよく知らないもので、それって今現在成功しているギークの皆様の子供の時に生まれた文化なのね。

この人が作ったD&Dって、ETでお兄ちゃんたちが遊んでて、主人公が仲間外れにされてるゲーム、あれです。http://loderun.blog.so-net.ne.jp/2009-07-11
剣と魔法の世界で、ごっこ遊びをするための遊び方を創作した人。シナリオを進めるゲームマスターがいて、プレーヤーはキャラクターをステータスの数値を割り振って作成して、GMと会話しながら物語を進めて、ランダムな結果が生まれる局面では二十面体ダイスを振る。

剣と魔法の冒険世界って、ヨーロッパの古の伝承を直接受容してるわけじゃなくて、1960年代指輪物語が流行る→1980年代D&Dが流行るみたいな、その流行った剣と魔法の世界が、現代に受容されてるわけでして、ロードス島とかドラクエとかジャンプ漫画のバスタードとか富士見ファンタジアのああいう和風ファンタジーは全部D&Dから。私も詳しくはなくて、D&D制作側はトールキンは別に好きじゃないとか知りませんでした。違うんだ微妙に。
中世っぽい魔法世界の冒険を、ステータス数値にする全ての源流。

オタク父ちゃんは、子供心がよくわかる良き父、でも自分の遊びに熱中して子供のこと省みない悪い父両方の側面あったりも身に沁みます。狂気に駆られてアイデア出すタイプのオタクじゃなくて、編集したり調整したり輪を運営するタイプのオタクでこうなんだから。この二つの人種がいないとできない製品だから、商業化の後は当然権利関係で揉めに揉める。両方わかるんで何とも…
いくつになってもオタクらしい浮世離れ感もわかる…

たくさんの仲間で遊ぶため、世界と関わるための方法っていう面も興味深いものです。もしもなかったら、もっともっと世のオタク的な資質の人間たちは孤独だったでしょう。永遠にオタクの生き方を変革したともいえる。すげえな。

ごく狭い世界で圧倒的な成功をおさめたけど、主流にはならず伏流になってしまった文化の歴史して、でも、確実に今のエンタメを形作った物の一つなので、創世から見られて面白い本でした。ギークの一生、オタク一代記としても面白かったです。


あと、個人的な面白かったポイントとしては「You」っていう二人称。
D&Dゲームマスターから声かけられるので、この界隈の人はごく普通に大量に目にする。そういやそうだ。「君は、沼地を進んでいる。君を襲った盗賊団に持ち去られた鍵はここにあるようだ。その時、君の足元で…」ってなかんじで。二人称の文章って、小説だと超レアでアクロバット技法なんですが、小説じゃないところでは二人称文章の文化がある。「オタク」っていう人称みたいな、相手に仮の個性を強かれ弱かれ設定して、現在の瞬間だけ成立する人称の距離感も、ギーク的な人間関係の表現なのかもなあと思いました。日常ではまず使わない人称を、夢と想像を描く文法にしたんだと思うので、文法詳しい人が研究してたりしないんだろうか。