スカーフ、ループタイ

30半ばでだんだん普通に馴染むようになってきたんで、ネクタイ替わりに実用も兼ねてるんですが、増やしちゃうなあ。同じ色は買わないようにしよう、くらいはできるんだけど、弱り切ってる時についつい、ネットを彷徨ってしまう。現実に価値を感じる力が弱くなって、即物的にお金で価値を買おうとしてる代償行為なわけですよ…

まんまこれ。

「たとえば、女性はうつ状態になると化粧品を買いたくなるということがビッグデータの解析で分かっています。ある人の閲覧履歴や位置情報からうつ状態にある可能性が高いと判断し、タイミングよく化粧品の広告を打つと、購買率が高くなります」。
http://article.researchmap.jp/tsunagaru/2016/12/

しかしお金を使うことが罪悪や窮乏の不安と結びついているので、大金を使うと後悔するし、しかし価値を即時に得たい、あわよくばレバレッジが効かせて得をしたい、そんな心情の混在で、結果的にはフリマやヤフオクで小金を使って満足して日常は回るのでした。

スカーフは、ご年配のご婦人からフリマで買うだけで、結構増やしてしまった…。今使わない若い柄というか、イカれた柄が私のハートを直撃…シックなカモの図柄だがしかしどピンクと、刺し色に黄緑とか。私もいつ使うんだこれ。結局はスタンダードな、無地とかエルメスもどきとかが使い易いんだけど、ないよなあそういうのは。でも、実用無視した変な柄を入手するとうれしい。過去数十年、タンスの底にいたスカーフが、今日この日に私が入手して、これまた数十年残りそうな家族写真に写って残ったりして、物がこの世に存在する不思議と所有の不思議。きっと同じ値段で、私の手からも離れていくのではないでしょうか。100円〜500円。。
昔からの住宅地あるフリマだと、まだデパートのタグあるような庶民の高級志向に不意打ちで出会う。夫がせっせと稼いだ昭和の1万円でこれ買ったんだなあ…、または人生の節目でもらったりしたんだろうなあ…。

対してループタイは、オッサンの物。観光地で、お買い物したんでしょう南国のサンゴや鼈甲、準貴石があしらわれたものを見ると、人生の楽しい時間に買ったんだろうなあとか思いをはせてしまいます。奥さんにはブローチなんかお揃いで、子どもには玩具のお土産買ったり…
家族旅行や、社員旅行や、お仕事をして楽しかった人生の遺物。それを、息子の嫁だかリサイクル業者だかが、ヤフオクに出す時の流れのああ無情。古びたケースがいかにも昭和で、私が子どもだった時に人生のいいところを生きた人の時間を買う気分にもなります。「ループタイ」より古の単語「紐ネクタイ」で検索すると、業者に流れず嫁さんのお婆さんが出品したのかなっていう出物にひっかかりやすいのがこれまた無情。いっしょに出品されてる物見て、鉄鋼関係の人だったのかなあ…とか人生に思いめぐらせたり。
「ループタイ まとめて」「ループタイ セット」なんかで2000円↓くらいだと、私は購買衝動とつり合いがとれる…買わなくても一通り見るだけで満足することが多いです。次はアンモナイトのやつが欲しいなあ。

ループタイの個人的な思い出として、個人タクシーの運転手だった祖父がたくさん持っていました。ループタイは仕事と個人の自由の境界みたいなアイテムだなあと思います。ネクタイのユニフォームのパーツ感とは違って、ザ・個人事業主の証。世の中、どうしても組織や集団になじめない人間はいるから…
お金をたくさん稼ぐサラリーマンのおじさんにはなりたくてもなれなかった私ですが、仕事をしてる人間のコスプレはできる見た目の年になりました。


古道具を買うのは、他人の人生を買ってるような連想あります。他人がよく生きたことが証明されてる物で、自分の人生の充実を買ってる。気持ちが安らぐ。ここ10年くらいで、いつの間にか、趣味みたいなものになっていました。最初は、明らかに自分で着けないであろうスカーフにループタイを、価値ある人生、過去にならって目指したい人生やそれへの郷愁というものを買っていて身に着けることはなかったのが、今では、身に着けている。私も時の流れや人間の一生の中にいる。