人間とのかかわり

子供がますます人間ぽくなってまいりました今日この頃。ヤベー小さい人間だコレ。
私自身が、決して自分を良しとしていないことと、自己肯定感が驚異の低さ(低いことで自尊心を守ってる)という面倒くささなので、動物好きっていうか、むしろ意思無く恐怖と充足の繰り返しで一生を終える自意識のない微生物に早く転生したいので、
はやく人間になりたい…
の希望に、もの悲しさを感じるんですね。成長がかなしい。

究極的には教育といういとなみ自体に他者介入にともなう暴力性が宿っているという原罪認識が必要です。

なぜ学校で体罰や指導死が起こるのか?――社会に蔓延する“ダークペダゴジー(闇の教授法)”
教育社会学・教育科学 、山本宏樹氏インタビュー
http://synodos.jp/education/19720

これだよこれこれ。
創作だろうが仕事だろうが何でも人に影響与えたくない…と友達にボヤいたら、指摘されて面白かった「人が簡単に変わると思ってる甘さww」っていうのが、まさに的を得ていて。私は本当に人が簡単に変わると思ってしまってる…
教育学部の実験授業とかで、到達度とか結果見るけど、比較群の到達できなかった子ども達の経験とか人生ってどうなるんだよとか疑問に思って、行為で人間が変わってしまう恐ろしさに、ビビってダメだったんだなあ。教師とか編集者とか、人間を操ることを生業とするメンタリティになれなかった。
それは他人を尊重しているとも、軽視しているとも、表裏一体。私はまじめな学生だったので、一生懸命に、他人をその年齢や状況に応じて改造する手段と実践例を読み漁ったわけよ。昭和中期の生活綴り方運動の文集の『やまびこ学校』とセットで、その後を追った『遠いやまびこ』というルポ本が今でも何とも言えない衝撃。運命、人生を変える。良くも悪くも。
人間本当に、仕組みたいな部分があると思ってるので、意思とか心とか感情とかそんなに価値のあるものでもないと思ってると同時に、とてもうつろいやすくこわれやすく貴重にも思う。

子供好き、動物好きって、人間嫌い過ぎの極致みたいな側面もあって、東洋のエキゾチズムとか19C初頭の工業化と同時にケルト文化ラブとか、ああいうのと同じ現実逃避ラインにいるんだよなあ… とかつらつら