『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』ハンナ・アーレント 大久保 和郎訳

決して厚い本ではないんですよ。でも、読むのに4週間もかかった…間に一息入れないと読み進められなかった。あまりの残酷さにためらうとかじゃなくて、一般化やイメージを事実で一歩ずつ排していくので、文章一行で世界が変わるのが1ページの中で何度もあるんで、小説みたいにここで決め台詞ショックばーん!じゃなくて、ものすごい価値ある活字がみっしりしてる塊で、飛ばし読みもできなくて、読むスピードがいつもの1/20くらい。この衝撃を表現するには、エピソード要約するの冒涜。ものすごくそぎ落とされて無駄が無い緻密な構成物だから。

一服の清涼剤がこれかな。安定のイタリアンジョーク。

イタリア人が約束を守るように見えるときはもっとひどいことになりかねなかった。
138p

イタリアでは、ナチが求めた「ユダヤ人問題の解決」が、怠慢、無理解、無能など個人および行政のありとあらゆる人間味でドイツが求める方向には全然解決しないで、他ヨーロッパに類を見ないほどユダヤ人が生き残ったという話。でも、同盟関係にあったファシスト党のとナチの行政上の力関係や、ファシズムと全体国家の違い、排斥でファシズム以外のユダヤ人が退去した後だったとか同化の歴史、ユダヤ人が潜伏できる周囲の地理も絡んでくるので、イタリアンジョークの抜き書きだけなら面白いい話で印象的だけど、決してそれだけではない。

単純な話じゃないじゃん、という確認作業。
ナチ=悪の権化で他は被害者ですみたいなイメージで今でも通るけど、この本はあまりにもクールで、イメージのあやふやさが介在する余地のない、複合した事実として書かれていて、知らないことと知ることの間の飛躍をものすごく感じました。邪悪な人物の狂った行いと言えたらよかったのに、という解決の希望を完膚なきまでに叩き潰す。
良くも悪くもイメージは飛び越える。裏取りというか、ユダヤ人側からこの裁判に先だってアイヒマンが身を隠すことができた世界情勢や拉致そのものを扱った本先に読んでたんで、情と非情と、常と非常、正義とは正当とは…なぜ問題になるのか、両面や感心の強弱が知られて、どう扱ったらいいのかという始点があったということを知れたのは良かったと思います。
人間が、こんなことを裁けるのか。
実際、渦中の人間はこんなに精密に明晰に考えることができないし、覚えていられないし、考える隙もなく、思い出すヒマもなく、事が動いてしまうんだろうと思います。


今ホットな空気感なんでしょうね。釣り記事かと思ったら森達也氏だしまともだった。

アイヒマンと加計と森友
http://www.huffingtonpost.jp/tatsuya-mori/kake_moritomo_b_17238046.html?utm_hp_ref=japan