『われらの子ども:米国における機会格差の拡大』ロバート・D・パットナム, 柴内 康文

アメリカのとある町の著者が子どもだった時の友達の人生と、今その町に住んでいる子どもの人生、豊富な事例の人生見本市で、町の姿の変遷と、時代、そこで生きる人生っていう下世話な興味も満たされながらの、膨大なデータで雄弁に時代を説明してくれる。
俯瞰しないと、世界は変わっているって気が付けない。

1950年代の昔のわが町は、経済成長してて、大人になったらみんな親より豊かになった!黒人も白人も貧乏も富裕層もそれなりに。階層の隔離は緩やかで、アップもダウンも可能性があったという結果が残ってる。そして地域には貧富の階層が入り混じり、みんなお互いを知っていた。
そして今は経済成長してない。貧しい人はより貧しく、富裕層はより注意深く手厚く子供に金銭と時間のリソースを注ぎ込むようになって階層は分断、住むところも高級住宅地のゲーテッドと治安悪化の貧民街で二極化。階層間の結婚も少なく、貧困の子どもに支援してくれる裕福な叔父伯母や、将来につながる宗教コミュニティや福祉の選択肢はもうない。孤立。
アメリカに独特なのが、個人の可能性の平等がアメリカの根幹精神といっていいほどに支持される社会で、その反面結果の平等を良しとしないから福祉に厳しいと。でも出発点が損なわれてるのに結果の平等に厳しいまんまだと社会は、未来の社会に住む今の子どものはどうなるのか。今、私たちは子供ではなくなり子供がいる、その今から続く未来の話。

「われらの子ども」、重奏的で余韻のあるタイトルです。われら。

現在の状況を提示してくれた上で、それをそのままいくと、こんくらい損失しますよ、何をしないといけないですよっていうのまで出してくれる。金だ!社会のためには、とにかく今子供の人の教育に社会リソースを投入だ!
やるのかなあ、やらないんじゃないかなあ… と思いました。暗い。
よ〜しもう未来は貧者のVRを地で行って電脳世界で幸せになろうぜ…というSF解決がマジ解決っぽいので、20年後は暗い。

      • もうちょいメモ

不毛の絶望データの集積。&そのデータの元である生活状況のルポ。

・地域密着も全部がいいことじゃなくて、地域自体に問題を抱えていたら、当事者には転居脱出一択しか改善の見込み無し。悪い地域で子供が育つことは悪影響しかない。学校も、地域から悪影響をめっちゃ持ち込むので、階層ステップアップのハシゴとして機能していない。
・家庭に養育環境を求めると…お金のある祖父母は金銭リソースを提供できるけど、お金のない祖父母からは時間リソースを引き出せるだけで、そこには教育も社会も学校への関与もプラスはなく、不適切な養育をする貧困の親から同じような祖父母に環境がうつるだけで何も変わらない。
・成績がすごく悪いお金持ちの子どもよりも、成績がすごく良い貧乏子供の進学率は低い。無情。

学歴は本当に重要で、大学まで行くことが、収入健康居住すべての面でプラス要素にしかならないのに、著者の言うとおり、貧乏な子供ははしごを登るごとに重りがつみかさなっていって、ほんの一押しで落ちて行ってしまうと…

地域密着と3世代同居を家族問題の解決策に充てるのは、ダメ過ぎるよ日本人…家族の支え合いwww養育を家庭にシフトして教育を個人リソースにすることで、次世代を貧困に突き落せるので、わざとやってるとしか思えません。
部活動で培われる社会性や倫理観、努力や協力の技能をソフトスキルとして、その有無が直近の進学から将来の収入まで強い相関があるのに、お金がどんどんかかるようになっていることなど、とにかく金が無いと幸せになれないんだよ!という身もふたもない結論になるのでした。
解決策は金!
・施設型早期教育施設は効果大!でも金かかるよ
・貧困地域校にはボーナス2万ドル出したら有能な教師が雇用できて仕事したよ

というか、金が無いことでストレスに晒されたり将来の見通し立たなかったり不本意だったり、不幸めっちゃ起きるって当たり前ですね。
貧乏でも暖かな家庭というのは、豊かな未来がある経済成長している社会にかつてあったモデルので、今はもうありません。マジで。心がけとか気合いでどうにかなるもんではない。あと貧しいけれど楽しい我が家ってのも嘘だ!貧困家庭はだいたい家庭崩壊してて、裕福な家庭のほうが円満。金ですよ金。