『セガ vs. 任天堂――ゲームの未来を変えた覇権戦争』ブレイク・J・ハリス 仲達志訳

いかにもアメリカのライター本的な文体、つまりドキュメントを劇的にドラマ再現したニュージャーナリズム文体で書かれるので、面白おかしく飽きないこと絶対です。巧い。
セガ社長はサイコな狂人だし、だいたい出てくる人間は元気過ぎる有能ビジネスマンで、まったく新しい概念のビジネスをトラブル乗り越えサクセスサクセス目指すんで、事欠かない戦闘的なエピソードを面白おかしく仕立てつつ、セガニンテンドー、そしてソニーのプレステにつながるゲームコンソールウォーズという一時代を描いてて読み応えたっぷり。

セーガー♪
日本でこの本読むのはセガのマニアだけなんでしょうが、本国では広く一般向け受容と思います。
なぜかって、アメリカではセガが勝利してポップカルチャーやってた一時代があったんだよ!!!!
まじか!
家庭の半数がスーファミじゃなくて、メガドライブアメリカ名はジェネシス)持ってて、お子様は毎週ソニックのアニメに夢中で、ニンテンドーよりお兄ちゃんたちが遊んでるそっちがカッコいいと思ってた時代があったのだ・・・まじかよ・・・クール過ぎる・・・
去年のレッドブルのWeb番組でゲーム音楽作曲者のシリーズがありまして、セガで一本あって盛り過ぎだろう贔屓され過ぎじゃないとかうれし恥ずかしかったんですが、そうじゃない、そうじゃないんだ。マジだったんだこれ。
RED BULL MUSIC ACADEMY PRESENTS DIGGIN’ IN THE CARTS

日本人だって、実は任天堂よりセガのほうがいいゲームでカッコイイのような気がしてるっしょ?そんなこと思うのはセガ好きだけか!ハッハッハッ(自嘲)っていうかんじですよねセガ。今この文読んだら15年ぶりの新作バーチャロン買ってね!副編集長が好きというだけで書かれたねとらぼバーチャロンがあと10万本は売れてほしいんですの記事でも読んで、セガ好き中年の仲間入りをしよう!

1970年代にアメリカで、コンピューターゲーム業界が生まれて1983に崩壊した後、第二波として一から業界作り上げたニンテンドー、そしてセガ・・・、玩具なり家電なり、他でサクセスしたビジネスマンがセカンドキャリアとして新業界でビッグチャンスに賭ける話。
湾岸戦争ニンテンドーウォーって呼ばれた時代、自分が子供の頃ホットだった文化。

セガアメリカの社長が主人公で、VSニンテンドー。カスも共存するコンピューター業界の自由な文化を退けて、ニンテンドーが支配した善い品質(という名の独占禁止法スレスレ)で統制された魔法のファミコン王国と、自由と逸脱の選択としてイメージ付けたセガメガドライブの侵攻。クールで自由でクレイジーな90年代アメリカを象徴するようなキャラクター、ソニックザヘッジホッグは、そうなるために作られて、ビジネスのがんばりで本当にそうなった歴史。ニンテンドーにお子様はくれてやる、それ以外の全部をいただき、後数年も経てばニンテンドーのお子様もこちらに来る・・・と。
で、
ここが肝心なんですが、アメリカではセガが一瞬勝ったんですが、日本では周知のとおり勝った時代っての無いんですよ・・・ ifを思わずにはいられない、ターニングポイントがあった・・・



ほんの数年間のうちに、子供とそれ以外にゲームやらせる文化創ったマーケティング戦争を描くお仕事ドラマ本でもある。物流、小売、それ以上にマーケティング。ニュージャーナリズムなんで、一回のミーティングが、一人の徹夜が、時代を動かすことに直結したかのようなドラマで描かれるのですごい面白い。
ネタとして有名な、任天堂ドンキーコング訴訟のあたりも、なぜこの弁護士が担当したかっていう経緯サラッとわかったり、これ以上無いほどマリオ映画がクソ映画になった経緯について面白詳細に述べてくれるので、マニア雑学にも大層よさげでした。当然セガにくわしくなれるし、スーファミプレイステーションの物別れから、後のプレステにつながるソニーも野望としてドラマチックに仕立ててあるので面白い。そして、ご存知のとおり現在につながる凋落したセガの顛末まで描かれるわけで・・・最終章タイトルは「ゲームオーバー」。

超個人的なポイントですが、携帯カラー機であるゲームギアのキラーソフトになり、一目で私が魅了された「エコーザドルフィン」がこの時代だからこそ生まれた産物で感慨深かったです。時代。
姫を救うとかいうんじゃなくて、ゲームにもっと壮大さを与えるためもっと本質的な探究・・・現世では生々しいから異界である海の人生・・・90年代のラッセン以前からのイルカヒーリングとかニューエイジとかそのへん、新しいじゃん壮大じゃんみたいな開発者のノリで作られるんで、何がクールだったか、何がニンテンドーにはない新しいもので社会への反逆だったかって反面で浮かび上がってくる。
エコーザドルフィン自体の詳しい記事はこちら↓ 
名作アルバム -『エコー・ザ・ドルフィン』- - セガ
個人的には、今風に言えば「エモい」としかいいようのないUIにしてラブアンドピースを一層進めた日本語翻訳版がパーフェクト。魚食べるとライフ回復っていう説明文を、「こざかなはおいしい」って表示する伝説的なローカライズ
つまり、そういう時代を抽出したようなイメージ全部に私は魅了されたわけです。


冒頭に、錠剤形をアニメキャラにしたビタミンC入りチュアブルお菓子を売る話が置いてあるのは、単にセガ社長の前歴というわけでなく、子供向けに物を売る行為そのものについての葛藤ドラマも一つの軸になっています。
ヒーローの人形を売るとき、それはただの合成樹脂の塊ではなく、壮大な物語と個人的な悲劇を背負ったキャラクターで、それこをそを子供は買ってるんだと。物語に値段をつけて売る話、いやXを売るために物語を作る話。Xはなんでもいいのか、子供に有害ではないのか、世界のために正しいのか、葛藤はいつまでもついて回る。

ゲームの残酷表現や下劣なストーリーを嫌悪しながら、ニンテンドーには無い選択岐として売れるゲームをセガから出すことは正当化できるのか。そう、ニンテンドーは悪役ではなく、動機はどこまでも正しく、家族と子供に良い物を、世界に善を届ける巨人であることは一貫して間違いなく、それがどんなにビジネス上で憎まれる手段をとろうとも、セガが小売に歓迎されようとも事実は変わらない。金で勝ち負けをつけられるレベルの文化ではなく、人間社会をどう変えるのか選択権を持っちゃったプレーヤーの話になるのですごいよねえ。

時代を振り返る本のその時代に自分が生きてて、実際に体験したことが新しく意味づけされて登場人物の一人だっていう新しい経験でもありました。もうそんな年だよ。
日本だと、ゲームを語る文体ってマニア層に固定化しちゃってるところあるんですが、これはゲームっていう共通の文化体験があった人に広く向いて書かれた本で、本質的に、子供の善の万能の夢である玩具の業界もテーマになっているので、読後感がとても良いものでした。

バービーの大人向けにファッションデザイナー起用したコレクタブルシリーズと、あのヒーマン作った人が同じ人物、にしてセガアメリカ社長っていうのが信じられなくて、アメリカの子供向け業界のサクセスドリームに浸れたのがよかったです。
昔は子供玩具自体が金儲かる業界で、ゲーム業界っていのも始まった当初からビジネスでサクセスの夢が見られたのだなあ・・・
文化を創って金を稼ぐマーケティングっていうビジネスなんで、私ソシャゲは社会悪だと思ってるんだけど、その祖先もしっかりビジネスしてたんだなあと感慨深いものがありました。
ニンテンドーにしてもスプゥラトゥーンなんていういかにもセガ的なストリート文化(ジェットセットラジオ!!!)が今は看板、それにインディーズゲームのUNDERTAILがニンテンドー機からリリースなんて、隔世の感があります。時代・・・。
今、外から守られた壁の中で安全にコントロールされて楽しむ娯楽になったニンテンドーは魔法の王国になりました。壁の外にはなんでも許される無法地帯が無限に広がる。
反逆が許されるほどリアル世界の安全感がなくなったということでもあるし、かつての反逆者が年をとって今は体制になった、つまり親世代になったということでもある。新しい反逆は、ゲームの潮流に生まれるのか、別の場所で生まれるのか、まだまだ時代は続くので、一時代を振り返れて面白かった本でした。



セガわりと好きだからまだまだまだまだ字が書けるんだけど、最近タニタセガと接近し過ぎてて、サターン体重計とツインスティックバーチャロン専用コントローラー)は確実なんで、これセガハードの時代また来るんじゃないの????今は好きなものには金ならいくらでも出してくれる時代だから、いけるんじゃないだろうか。