ゲームとか特撮とかロボの玩具展開するモノとの付き合い

結構、子供が特撮とかアニメの玩具に興味持つの渋っちゃうんですよね。
三つ子の魂百まで、不肖わたくし、欲しい玩具を買ってもらえなかった幼児で玩具ほしいだけの35歳児の有様なので、そうならないためには買ったほうが絶対いいんですけど。

けど、子供ってどうしても親が好きだから、親の意向に沿うように動いたりしちゃうから、親がいっしょになって楽しんでると、それを善いことだと思って余計欲しくなるっていうスパイラルある。
特撮ショー行ってみて、その一体感、お姉さんのコールにヒーロー崇拝にライティング演出に、全体主義の陶酔体験強烈でこりゃ子供はイチコロだぜと思って、オタクはしょせん商売でもあるので深入りもどうかと思いつつ、今時特撮オタクコンテンツくらい純なプロダクトもないかなとか、スタンスが行ったり来たり。


ゲーム。いいですか。ゲームですよゲーム。当時高価なオモチャであり、子供に金払える裕福で子煩悩なご家庭であったこと+新技術の習得の合わせ技で、今や基幹技術となったコンピューターに携わる大人になって人生エンジョイしてる人たくさんいます。大昔からあった技術じゃなくて、単純に40年くらい前に発生した文化で、パイ多くて元ユーザーが子供が社会的に適応した大人になったんで今メジャーに語れるんですよね。
ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!https://www.4gamer.net/words/005/W00506/
これとか↓。人間のクズで超面白い。
「今回は,「ゲームがうまい奴は頭がいいのか」というテーマを下敷きに,いろいろな話をする……とうかがっておりますが。」
廃ゲーマーを入社させてみたあの頃https://www.4gamer.net/games/005/G000570/20120419035/



ゲームっていう遊びは日本に住んでる以上やらない方が珍しい。コンピューターはもう人間社会からなくなりそうにないんで、遊ぶことは社会への適応としてプラスに働く面が大きいでしょう。ただ、ミヒャエル・エンデ先生もウルティマにハマって執筆しなくなった時期があるんで、時間との折り合いが難しいです。ちなみに奥さんに1日1時間までと即制限されました。オンラインゲームがあったらエンデの著作は確実に減っていたでしょう…
時間を食う娯楽だってのはわかりきってて、藤子・F・不二夫先生も忙しくて時間がないからゲームを録画したものを仕事場に流してたのも有名な話。これ今考えると藤子先生がやりたいゲームを遊ぶ係のバイト君がいたんだろうか…
あと上のリンクのこれね。

川上氏:
 僕は,以前だったかもお話させて頂いたと思うんですが,「Ultima Online」は,オープンβ当初の3日間しか遊んでいないんですよ。3日間不眠不休で遊び続けて,「これを続けたら会社が潰れる!」と思って,最後の気力でアンインストールして。それっきりです。

ディアブロだったか、当時出たばかりのゲームやり過ぎて実際に破産したコンピューター会社いくつもあるっていう、都市伝説なのかマジ話なのかわからん話もあり。
ゲームは人間性を抽象した産物なんで、実時間のあるボディ持ちの人間って存在とすげー相性わるい。突き詰めると、脳だけ水槽に浮かべて夢みてるようなことなんだけど、私自身としてはそういうのもアリかなって思います。帰ってこられない宇宙船に乗り込むことと同じかな。そして乗り込んで星を目指す夢を見ることと何が違うのかなって。今や、この世と彼岸に生きることの差異もない時代のような。もしくはそういう生き方をする人間は普遍的にいたような。


 
その人間の気質がベースになるんで、例えば一口にマンガ好きって言っても、口さがなく言えばマンガしか読めない子供のようにバカなままの人間の娯楽でもあり、単にコストの安い娯楽でもあり、郷愁や書痴や収集癖、または創造に向かったり、どうなるかはわかんない。ただ後者ほど、経済や時間や能力に余裕がある状態が必要だなと思います。でも、そこに何の優劣が、終わりになんの違いがあるんだい…とも。

リアル未来も暗いし、終末まで飽きずに生きるにはオタクが一番お手軽かなと思うんで、子供はなんかのオタクになりなよ。ってかんじです。オタクな人は何をやってもオタクになるので、何のオタクになって、それで社会性無のナード(でも生きる楽しみはある)になるか、社会に適応した技術or社会性持ったギークになるかはオタク対象と時代と環境と運次第。
願わくば社会的地位が不当に低いことへの不満を解消するためのツールではなく、生きる糧、生きる楽しみになりますように。あっ、どっちも同じかな…

『テレヴィジョン・シティ』長野 まゆみ

SF。徹底管理されたどこかの惑星の都市で、家族もなく過去も未来も定かでは無い書き割りじみた少年達が… ディストピアの寂寥と少年の抽象を描く無機質な作風がうまいこと噛み合って、とてつもなく寂しい本。後書きか解説だったかの「まだ人類」っていうのが言い得て妙で、人類消滅のぎりぎりの淵を描いてるのがよかったなあ。露悪的なまでに、この消滅しつつあるほとんど透明な少年達を楽しんでいいっていう。人類という現象を抽象していくと、それは性が未分化な少年の形をとって、社会がないから大人じゃないし、未来が無いから子供でもないし…
たぶん、著者の他の奴は私そこまで少年愛にこだわらないんで、好きになれないと思うんですが、+ディストピアでひと味違うんだろうなってところが好きでした。

『ディック・ブルーナ ミッフィーと歩いた60年』森本 俊司

私には著者がクソむかつく失礼な人間で… このクソむかつく失礼な新聞記者がブルーナさんの人生をネタに、ハルキ文体で自分語りしまくってどうでもいいお前の人生を人類普遍の男の葛藤みたいにくそデカイ主語にすり替えるクソ男のクソデカい自意識に耐えながらブルーナさんの評伝読むより、Wikipedeiaでも読んだ方が千倍マシ
と、私は思いますが、この著者オッサンが嫌いじゃなければ、読めるんじゃないかな…いいところは図版が多数入ってるところ。私は超むかついたけど。
たまにこの手の、ウザイおっさん本を引き当ててゲンナリするけど、児童書関連だと珍しいなって思いました。

『天体議会』長野まゆみ

高校生の頃挫折したんで、私は長野まゆみバージンでした。オタク趣味で原稿のお供にラジオドラマ聞いてたら、読みたくなりました。

なるほど、こういう文体しぬほどオタクの二次創作小説で読んだなっていうご先祖に当たりました。

『早稲田文学 増刊女性号』

「女流文学」「女性作家」とカッコ付きになったとき、それは二流、傍流という意識が昔はなきにしもあらずでした。恥ずかしながら。そういう文壇シーンも含めて読んで感慨深かったです。