『驚きの介護民俗学』

ケアを開くという介護の本のシリーズで、著者は民俗学の若手学者だった人。今は介護職についているそうで、介護の現場で利用者と関わりを民俗学的な視点で見た連載をまとめた本。どうしても望まぬ転職だったのではと思ってしまうのだけど、連載を持ちながらっていうのがこの方の働き方自身の支えにものすごくなってたようです。

ボケたお年寄りの行動や意味不明な話を、民俗学的にアプローチしてみたときにそれが過去に存在したことだったという発見をして、古老に聞き取りをするような民俗学であれば尊重されることなのに、傾聴という介護の技術でその場限りで流されることへの不満など、介護の現場への疑問は私も感じたことがある類のもので共感しながら読んでました。使う単語も「トイレ」でなく「お手洗い」や方言の語のほうが高齢者に馴染みがあって通じる、など相手の身になってみれば当然のことでも、気が付かれなかったのではないか、とか。介護の場の独特の空気は、否定するものではないけどとにかく私の日常とは違う。
ケアをする立場にいることの暴力性について、それが一時でも逆転する場として民俗学的な聞き取りの時間があったって話に、これが私が昔感じた違和感の正体だったんだなと思い当りました。

教職免許のための実習という短い時間でしたが、80代の元国語教師の重痴呆の方の話し相手を宛がわれたんですけど、ちょうど大学でやってた上代特殊仮名遣いの母音論争の当事者だった方で、私は教えられる立場でした。また教職についても、女性の仕事として一生を賭ける価値があるものだと諭され、それこそこの方が入院以前振る舞っていたような関係をもって束の間を過ごしたと思います。それが価値のあることだとか無いとかの是非はともかく。私も普段は生徒だったもんで、ただの承認欲求を得る立場で無責任なものです。その帰り道に、介護の職員の方が「あの爺さんクーラーからお化けが出るっていうんだよ」と茶化すのをものすごく意地悪に感じたんですが、若い私へそれよりも若い職員の方が同じ目線の絆を結ぼうとする呼びかけだったようにも思うので、対立するものの間にハマってしまった蝙蝠のような居心地の悪さでした。だって私、夜勤してウンコ取り替えたわけじゃないんだもん。

後半、介護職では通常の労働量(過酷!)をこなすために、利用者の長年の生活を否定を強要する立場のジレンマに著者は陥ってしまって折り合いをつけるまで書かれていました。時間は過ぎて、解決していくのでした。