『断片的な物の社会学』岸 政彦。

ジャンルはエッセイになるのかな。社会学調査の中、論文にも発表にもならない、答えにも至らない、主張でもない、でも著者が忘れられないことについて。
いかにも堅そうな本だから頑張って読む類の本判定で読むの後回しにしてました。社会学っていうタイトルの時点で、手に取る人は大学出た人とか読書が好きで本たくさん読む人とか読者限られると思う。そんな読者の教養に支えられるハイコンテクストなんで、そのうち予備校の長文問題にされそうとも思っちゃう文体。
でも、
でも、語られていることが、すごく、自分に近いもので驚きました。著者35くらいだろうかとも思って、40代後半、そのくらいだろうと肯く。若者ではない、老人でもない。

こんなに繊細な感性だと生きていけない。
忘れないと生きていけないほど苦しいから、考えないし忘れてる。
ネットの誰とも知れない人の文章を読む話、私は自分が空虚だからまるで他の人の人生が本物のように思えてたんだけど、滑り落ちやすい人生で地続きになる誰彼の曖昧さと、何も意味が無いことへの肯定と、深くではないな、時間をかけて丁寧に考えていく。著者の意志ではなくて、物が他人があるがままを。世の真理とかそういう深さや大局じゃなくて、広く広く一つ一つ。

依りましの人でなさというか、ルポライターやこうしたインタビュー生業にする人、ある種自分の人生を掴み損ねているような、それが無条件での他人への興味と愛につながっているような感覚あるのね。だからか、不思議に暖かみを感じる文章でもありました。ヒューマンでもないんだけどさ。なんだろうねこの。図書館で借りて、やっと回ってきても、やっぱり読むの後回しにしてたんだけど、読みだすとまるで誰か見知らぬ匿名の人のブログでも読んでるような、興味の持ち方になってあっという間に読んでしまいました。面白かった。

私のごくごく個人的な趣味で、どことも知れない会社のブログとか技術記事延々読むの好きなのね。美大出てから数十年羽毛布団のガワのデザインだけやってる人とか。どこかのだれかの大事で無意味な人生が。