『優しい鬼』レアード・ハント 柴田元幸訳

暴力って人類普遍にどこにでもあるんだけど、小説で暴力を暴力だと書いたものとなると、アメリカ文学が印象に残ります。『とうもろこしの乙女』とか『善人はなかなかいない』とか、人の意志を超えた何か普遍の暴力。悪とはまた別枠で。国とか個人とか神とか原因にすると、なんかヨーロッパの香りになる。
アメリカは素晴らしいものだ、そうなるだろうっていうアメリカ全般の印象と、そうではならなかった物っていう現在未来と過去の対比でもあって、まるでアメリカは暴力から育ったような。

この小説はとても優れているので、読む楽しみを奪いたくないので、なにが書かれているかよく知らない状態で読んじゃったほうがいいです。語りという文体で、すごく読み易くて先が気になる書き方なんで、とにかく読んじゃったほうがいい。
下に内容について感想書きます。











まず、私が英語とアメリカに疎い日本人であることからの誤読が生じてたと思うんですけど、これは暴力一般を扱った話であると思ってました。要は主要登場人物は全員白人だと思っていたんですよ。
登場人物のうち、姉妹二人が奴隷の黒人だとわかったのは、終盤も終盤でした。甥が出てくるまでわからなかった。これが、仕組まれたものなのか誤読なのかわかりませんが、たぶん日本人特有の誤読で、アメリカ人が読めば、もう少し早いタイミングで、白人女性の語りの中で出てくる姉妹のセリフの口語英語でわかるだろうと思う。でも、殺された黒人召使が兄という描写が終盤で出てくるので、意図的に黒人であることは隠されていたのかもしれない。
それを差し引いても、暴力を振るう、受ける、人間を描いた作品です。というか、ある種の父権的な家族制度と、奴隷制がまさにその暴力の装置なのだけど。


暴力を振るう男、娘、監禁された女性っていう道具立てで、ラッキーマッキー監督の「ザ・ウーマン飼育された女」をふと思い出しました。暴力の解決はジャンル映画であるが故にジャンル映画の方法で達成されちゃう。変な名前でつい覚えてしまっていたラッキーマッキー監督大成したんだろうか。