『想像ラジオ』いとうせいこう

東日本大震災後のベストセラー。小説をものすごく読んでる人間が書いているな、と感じる技術やまじめさが、功を狙ったり、業界ウケとかそういう一過性のもののためではなく、もっと切実な動機を持って永く解決を祈るために書かれていると思います。超まじめだよこれ。翻訳とかされたんだろうか。現代の世界標準みたいな小説だなって技術に初見感心してたので、あんまり前情報無しで読めてよかったです。

他人の手紙のやりとり、すなわち心中の告白の応答見るの超楽しいとかいう古典の書簡体をさらにスーパー読み易く、流し聴きという低すぎるハードルで届ける「ラジオのDJの語り」という文体。自分自身の性向として、共感の暴力性が本当に嫌で不干渉でいたいんだけども、そこまで届いちゃったよ。私は嫌ではなかった。まさにそのへんが話題。ラジオという開かれた文体であると同時に枠が強固で、言いにくいことや個人的なことを語ってもいいだろう、という作中の言説の安全圏が保たれつつ、小説の読者として聞く側にも距離の気楽さがある。別にただの小説なんで、投げっ放し問題提起とか、物語世界の完結を持って終わりとするとか、そういう落としどころも普通にアリなんだけど、小説ジャンルに許されるそういう空間を拒否しようとしてると思う。でも小説だから小説のお約束っていうか技法は使う。小説を普段読まない人、普通に読む人、どちらからも異端で戸惑うかんじの中間。まことに小説らしい小説だし、良い小説だと思いました。

普通に演劇展開とかされてそうなんだけど、ラジオを小説で書くっていう、この二重の虚構が必要なんじゃないだろうか。当初のスタートのツイッターで直接やった想像ラジオの形態は私は受け入れることができない。現実と虚構が近すぎて無理案件。それに他の話題でこれやられたら嫌っていう話題の内容もある。開かれているけど、別にお前を狙い撃ちにはしていない、慎重で強力な文体だと思う。

震災って虚構にいる人ほど現実に打ちのめされて、戦後と同じように鎮魂と贖罪にヒヨったの読んで、ヒヨってやがると思ったり、これしかないよなと同情の落としどころと両面感じることが多々あったけど、この小説は距離感を私が誤解しているとしても、あえて言うけど繊細すぎないけれどもやさしくこまやかに、正義ではないけど正しさを強く表現してとてもよかった。

個人的な嗜好としてゲーム小説が大好きなんで、『ノーライフキング』の作者としてしか私は知りませんでした。30年くらい前、若手やサブカル周辺の小説家が、時事モノとしてファミコンブームを扱う風潮あったみたいでその一冊っぽいやつ。こんなにしっかりした小説書く人になったのかという驚き。