『復讐者たち』マイケル・バー・ゾウハー 広瀬順弘訳

著者はユダヤ人、戦後ナチスの残党狩りをしたナチハンターのノンフィクション。これもまた、判断に難しい本だけど、めっちゃ面白い本でもありました。スパイ小説の大家らしく巧いので、もうまるで面白い本。全然知らない話でした。

一つはナチハンター。
ユダヤ人迫害という思想に対しての復讐、その惨禍に対しての復讐、個人的な家族友人知人の復讐のため、戦後の法の裁きから逃れたナチスを秘密裡に殺したユダヤ人。秘密部隊や個人や町民といった様々なレベルのナチハンターたちを、著者は基本的には擁護する。
ニュルンベルク裁判とかそういう国際法廷とは別の倫理が、現実の世界で働くんですよ。裁判で訴追されずまたは処罰を終え市民として暮らしている元ナチスを、妻子のために許してくれと命乞いをしようが、命令でやむをえなかったと言おうが、処刑する。
復讐は正当であり、正義であり、今後同じことが自らの民族に再び起きないための抑止力として。
その殺害レベルがすごいの。秘密部隊は普通の市民に戻っていたり病院に偽装入院してたり、逃亡してたりを、あぶりだして秘密裡に殺す。百人以上の行方不明者、未解決の殺人事件…1000人〜2000人ともそれ以上とも。著者はホロコーストに600万人に比べれば、復讐の道徳的かつ高潔が示された数字だという。
毒入りパン作戦で、実際数百人とも数千人とも言われるナチス捕虜が死亡してたりする。戦後に。情報統制でそんな事件があったことさえ知られてない。

ホロコーストの報復として、一般市民含むドイツ人をターゲットにした都市規模の殺害計画も国家レベルで実際に進行中だったと。
このへんの経緯を読むと、まさに報復措置で、それは正義の行いであって、でも、いいんだろうか、これいいんだろうか。不安になってくる。タラインティーノでブラピ主演のナチぶっ殺し部隊映画イングロリアスバスターズ、スゲー面白いんだけど娯楽じゃなかったらこういうことなんだって…

もう一つは、戦後のナチ逃亡ルート。
戦中からナチスは資金を南米に移動して、ナチ受け入れ態勢が整ってたり、南米ナチ財宝とかああいう伝説はオカルト方面で知ってても、実際に元ナチスが政治的要職についてたり、経済的に成功したり、引き渡し拒まれてたりは知らない。
南米各国の共産主義嫌いでナチに好意的だったり、対立する勢力があるから受け入れ先があるんですよ。カトリックユダヤと仲悪いから)や、赤十字の助けを借りて逃亡する。エジプトやアラブ諸国も、ユダヤ入植とイギリス占領軍大嫌いだから逃亡先に。嫌いっていうのもなんだけど、敵の敵は味方で、しかも有能な実績ある味方判定なわけ…。著者は当然に批難するけれど、対立軸を見るとなんとも。


『普通の人々』という本を先ごろ読みました。言われてみればそうだなっていうところで、ユダヤ人のホロコーストで手を下す実行部隊は、生粋の軍人ではなく後方部隊なんですね。精鋭部隊はどんどん前線に行くから、30代〜で普通の市民生活を持ってて予備役徴兵、軍人ではないから功績上げるための出世主義とは無縁。でも、集団の力により、大量殺人に至る。集団心理の服従、そしてあらゆる欺瞞で心を守りながら。逆に集団心理に逆らえる資質の人間は平時では社会不適応者だったりするもんで、本当に普通の市民たち。

故郷も家族も奪われ、復讐しかなかったナチハンターは、その後祖国パレスチナ建設に生涯を移していく。パレスチナの闘士、軍人として、役人として、市民として…


軍人と市民と加害者被害者の境界線が、より曖昧になるような読後感でした。事実として起きた事に対して、正義や悪、人道とか思想の空辣さというか。人種の大虐殺も、それだけはやってはいけないという、絶対悪たりえない。絶対悪と信じて疑わないことでも、支持された時代や状況が存在してしまうし、起きてしまった。そしてたぶん未来においてもなくならないでしょう。あと、こんなかんじに世界民族いろいろ歴史も思うところもあってヤバイので、人道にもとるとか一応基準あるけど、あってないようなものなんで、詳しくない人は関わらないのが一番だなとか思いました。