胎内回帰の話を作るのは男限定なのか

私は絶対泣いちゃう話のパターンがあります。幼児帰りして母の愛のもと胎内回帰するやつ。
まあ辛いことがあると、こういうの読んで泣いてスッキリしていました。解決できなくて、もうどうしようもなくなったときには、これしかない。やり直しじゃなくて、おしまいになりたい。はじまりの幸福の中でおしまいになりたい。

まあ、↓でも読んでよ。

『雲雀病院』 原民喜
http://www.aozora.gr.jp/cards/000293/files/4961_17171.html
昔はテキスト論的な解釈するのが好きだったんだけど、これに関しては作家論を抜きに語ることは不可能。作者の当時(原爆後で、自殺の数年前)と、「ひばり」がキリスト教の天国とも輪廻とも思えるような死後の生の象徴となっていたこととか。
でも、それを踏まえてもおそらくこれジャンル小説です。胎内回帰が文学的テクニックじゃなくて、エゴ丸出しで目的を持って書かれる実用文っていう。

あと、この手ので印象に残ってるのは『めぐりくるはる』okama 2巻に入ってる話。
>追記 2015/7/9「きりかぶの芽」という作品でした。
18禁のコミックスってか平たく言えばエロ本で、もうずいぶん古いんでうろ覚えですが。okamaさんのエロ本はナチュラルに親子関係がイノセントヤバいよね。

事故?自殺とも知れない場面で、死体の傍らに呆然とする男とも少年ともつかない幽霊にお迎えが来ます。ギャグ要素は一切無し。母親の看護をしていたのでしょうか。断片的な情景のコマが続き、お迎えの女性の天使のような存在は、彼が疲れちゃったことをねぎらい、がんばったね、もういいよ、と慰め連れて行って、どこかきれいな川の中でセックス。両生類とも萌えキャラともつかない、二頭身の生物になった彼が無心に「ママ」「ママ」と呼びかける先には、母親のような幻影があり、「ママはここにいるから遊んでおいで」と笑いかけます。
>追記 2015/7/9 発掘したのでスキャン。母親を看病し、看取ったあとにか、彼は自殺した後にお迎えが来るという話でした。


母がダイレクトに自分の母じゃなくて、母性だけになる&自分が母性以外を理解できない本能だけの存在になる、という究極に縮小した個性のミニマリズムが魅力です。そう、類型なんですね。こういうの山ほどありそうなんだけど、意外に見ない。持てる力の全てを自分の慰撫に注ぎ込んで作品としてギリギリ成立するほどの作家の力があるものが、表に出て残るんでしょう。
言い方は悪いが赤ちゃんプレイが読みたい。

他にも作品ご存知でしたら教えてください。
女性作家は一人も知らないです。
>追記 2015/7/9
あったあった。2011年の『つばさの丘の姫王』っていう乙女ゲーで、EDの一つに「赤ん坊になった主人公(女)を、パートナーの執事がまた育てなおす」というものがありました。季節が巡るように、大人になっては、赤ん坊に生まれなおすことを繰り返すサイクルに囚われた主人公を肯定するようなEDで、もちろんこのサイクルを断ち切るEDもあります。でも、このEDはイマイチとあまり評判よくなかったはず。ちゃんと大人になってそれからの人生をともに歩むEDのほうがベター扱いじゃなかったかな。(うろ覚え)こういったEDが入ったのは、なんとなく女性ライターでも男性向けエロゲー出身のかなり古参の方だというのもあるかもと思います。
女性はケアを受けるだけの存在になることで幸せになれないのかもしれません。


少将慈幹の母はテクニック至上なので、このダイレクトな実用性がない。ダイレクトさがいいんだよ。
SFだと、タイトル忘れちゃったけど、核戦争後なのか死が間近な人類最後の男が、恋人や母の渾然とした女性の思い出と幻影に波打ち際に呼ばれ、おそらく最期は有機物として海に溶けて原初の命になるだろう・・・ってのありました。あれなんだっけ。これもわりとギミック勝負。

あと、これ女が読者でも効くことはわかってるんで、自分が母になった女にも効くのか推移を見守りたい。実験。

>追記 20150210
谷川俊太郎の↓もかなりいいですね。ダイナミック。これ読んだ後に「さようなら」読むと、感想が死んだ男の子のせつない話じゃなくて、生きてる男の子の成長するせつなさみたいな気持ちになる。
http://www.poetry.ne.jp/zamboa_ex/tanikawa/6.html

>追記 20160519
スピルバーグの「A.I.」。これも似たようなテーマかも。子供ロボットとして設計されたのに母に捨てられて、ラストシーン、一日だけ母がよみがえることを望んで、誰もいない世界で(理想の自分を愛してくれる)母と誕生日を楽しく過ごして、眠りにつく母の隣で初めて夢を見る眠りに(永遠に)つく…、なんかもうあらすじ書いてるだけで泣いちゃうわ。

メモ追加
上野千鶴子氏の「ケアの社会学 −当事者主権の福祉社会へ」(太田出版、2011年)

ケアの受け手と与え手の関係は非対称である。なぜなら相互行為としてのケアの関係性から、ケアの与え手は退出することができるが、ケアの受け手はそうでないからである。この非対称な関係は、容易に権力関係に転化する。うらがえしにケアに先立って存在する権力関係を、ケア関係に重ねることもできる。家族の支配・従属関係、ジェンダー、階級、人権など、ありとあらゆる社会的属性が、ケア関係の文脈に関与する。

従属したい、っていう欲望なんでしょうね。究極の権力に身をゆだねたい。その依存するところが神ではなくママンである場合が、女とセックスの文脈とセットで存在するって、免罪と救済のセットかな。

>>追記 20160607
どっかで読んだ気がした記事はこれだよ。最悪なのは私これクロスアンジュのプレゼン資料(あふれるレズいアニメ)のパワポから飛んできたことなんだけど。
【豆知識】仕事がデキる男性のほとんどが赤ちゃんプレイが大好き / 会社員「赤ちゃんプレイが嫌いな男は一生平社員」
http://rocketnews24.com/2013/12/02/392649/
 
>追記 20160722
赤ちゃんプレイ風俗店のレビュー。名文。
まじでこれがすべてな気がする
http://fujoho.jp/index.php?p=report&id=19107

>追記 20160901
関係ないところで、変な補強情報を拾ってしまった
http://toyokeizai.net/articles/-/12723?page=2

ご存じの方もいると思いますが、教養学部の専門課程というのは、東大の法学部よりも内部進学点が高い。極端な秀才の集まりで、その中で特に成績のいい連中が集まるのが総合社会科学分科の国際関係論コースです。
そこの中から試験で勝ち抜いてきたのが、外務省のキャリア職員では多いわけです。しかし、そういう人物が幼児プレーが趣味だったりするんです。僕が見てきた中で、そういう比率がかなり高い。