ハーメルンのバイオリン弾き 徒然

アラサーの人間が子ども時代に慣れ親しんだ漫画が復刊や続編などでリバイバルした数年前、ごたごたしながらひっそり消えて行った漫画がございます…
アニメ化にゲーム化、長く月刊少年ガンガンの看板作品だった『ハーメルンのバイオリン弾き』著:渡辺道明。単行本も絶版、知る人も少なくなってしまった今、思うことなど書き連ねたいと思います。

■概要
ハーメルンのバイオリン弾き月刊少年ガンガン創刊時1990年にエニックスファンタジーコミック大賞での大賞受賞を経て、そのまま連載になった作品です。このとき賞を獲った作品集が刊行されていまして、その大賞にふさわしく他の受賞作の中で抜きんでたレベルだったことが確認できます。

・連載レベルに達している作画。
読者層外している大友フォロワー風や、ペンの扱いに慣れていない未熟な作画など並ぶ中、アシスタント経験のある作者による画は、ほぼ唯一の商業誌レベルでした。同受賞作の『ZMAN』の西川秀明も絵が超巧い作品でしたが、逆に少年漫画としては書き込み過剰で、連載版ではより少年漫画らしく線が整理されています。

・掲載誌と時代にふさわしいライトファンタジーであること。
ドラクエ漫画が看板作品である月刊少年ガンガンにふさわしく、ライトなファンタジー要素を絡めた物語。ヨーロッパの神話や指輪物語アメリカナイズのD&Dと言った伝統的なファンタジーの先行作品をルーツに取るものではなく、テレビゲーム的なギミック満載の和製ファンタジーで、90年代の王道、メジャー路線でした。

・キャラクター絵が魅力的
当時のガンガンの連載陣の中では、絵が巧い作家という評価になると思います。画面が白くない、集中線が変じゃないみたいな漫画的な表現がすでに完成された画として読める時点で高レベルの中で、キャラが巧く描けてる。
90年代の漫画として絵は全然変ではなく、むしろうまい部類だったと思います。その後、11巻前後から画風が変化しますが、それも繊細な表現でイラストレーションとして耽美な雰囲気醸し出す良い方向に感じられました。TVアニメ版が中島敦子キャラデザでとっても耽美に振れますが、原作のテイストを生かした拡張という側面もあったと思います。

・珍しい「母乞いモノ」物語
90年代当時、非常に珍しかった、それよりも前世代のオールドスタイルな物語である「かわいそうな子供の母乞いモノ」だったと、つい最近気が付きました。90年代になかなかこのスタイルをとる他作品はなかった。
「かわいそうな子」が主人公になるのは、魔物に村を滅ぼされたとかごく一般的なんですが、そこに母乞いが絡むのはなかなか無い。例えば同時期スタートの、魔物に生国を滅ぼされたかわいそうな10歳の男の子が主人公の『ロトの紋章』には母乞う要素は薄い。それよりも、フォーカスされるのは主人公の成長ですよね。和製ファンタジーの90年代の物語として、RPGのようにレベルアップや仲間を作る、拡張の物語が好まれたのではと思います。母乞いにリアルさが無くなった時代である当時の子どもにとって、新鮮且つ独自の強力な物語でした。


と、
一世を風靡したとても面白い漫画でした。連載時、私は熱狂して、先が楽しみで楽しみでしょうがなかったです。
しかし、今「あったよね…今どうなってんの、というか最後どうなったの?」みたいな人が多くて、辿った道筋はあまり幸福なものではないというか、知られなくなるという作品としての死にも近い状況に陥ってしまいました。

■凋落
連載媒体の月刊少年ガンガンは迷走して隔週化になったときがあります。この時期と、ハーメルンはアニメ化後に物語の山場(15巻〜16巻)が重なりピークを迎えます。だが、隔週化の影響は、如実に作画に現われました。

・画風が簡単作画に変化
15巻が繊細な作画のピークだと思いますが、隔週化の16巻は、急いで書くとこうなる!っていう痛痛しさを今見ると感じてしまうパターン化された作画が基本になり、少女マンガのようなというか一枚絵ごとのイラスト的な魅力が失われたと思います。キャラに魅力がなくなった…。

・構成と、隔週化のスピードが追いつかなった。
隔週化後の単行本である16巻、その直後の17巻は、最も単行本修正が多い巻だと思います。なぜかって、連載時のヴォーカルは白髪+長髪でデザインが違い、顔も服もそもそも違う。初登場のヴォーカルの絵がちょっと変なのは修正しきれてないからなんですね。
また、明らかに変なコマ割り、大ゴマ多用も、修正されないまま収録されるようになっていき、構造の緻密さと質は落ちました。
作画面だけでなく、ストーリーも同じエピソードの繰り返しや冗長化、2週16p連載でタイミングが計れないギャグ投入など、単行本で通読すると妙なことに。だって1か月に1冊単行本とか正気の沙汰ではないペース。
隔週化は、作品の質を落とし、多くの作家をつぶしただけで、いつの間にか月刊に戻りました。

・構成に流行の王道メソッドの手が入ったことによる陳腐化
Webで当事者によって明らかにされていますが、後半は、というかもうほとんどの読者が離れてどうなったか知らない部分である、中盤〜ラストに、元アシスタントでいくつか他作品の構成をやったことがある方の手が入ったようです。
…00年代というのは、ハリウッド映画の王道メソッドの裏側、ヒットの法則、物語法則というのが一部の業界でブームになったようで解説本や教科書的な本が出版され始めたころです。すでに成功した作品のストーリーについての解説本が主流だったんですが、おそらくそれに感化されたこの助言者によって王道の正解に収束する物語、つまりどこかで見たことある手垢のついた普通の物語を書くことが目的化してしまいます。
設定がそのまま書割になったような茶番、陳腐の一言に尽き、キャラクターも物語の進行のための役割を行うためだけの薄っぺらなものになっていきます…。

こうして、物語は型通りの大団円を迎え、後の青年向けガンガンでの過去作リバイバルのラインナップに上がって、実は、続編が描かれていました。あったんだよ!知ってた!? 私知ってて全部買ったけど!
かつての読者は子供から大人になりましたが、次世代にバトンタッチした結果、主人公は子ども、学生というミスマッチ。いや、次世代にするのはロト紋でもやってるんですよ、でも、これは、あまりにも…その前連載(『カスタードくん』@コミックブンブン。看板はゾロリ先生。)の幼年誌のノリそのままで… 読者は大人!作品は子供!たすけて!もうライフは0よ!という痛痛しい作品になってしまいました。打ち切りだ。
あと絵は、端的に言って独特過ぎるデフォルメになり、奇形のパターン化というか…見る人によっては不快感ありそうな方向になってしまいました。


■変わらない要素
・グロと残酷
これはもう作者の性癖に近いものになると思うんですけど、時々びっくりするような人体と痛みを無視した過剰な暴力(例、前半はサイザーの処刑や、後半のフルートの喉を切り裂く、クラーリィの四肢断裂やリュートの死に様とか)表現あるんですが、エログロ世代的なものなのか、質としてあまり見ないタイプのグロさ。表現として人体破壊して、痛みを極限までオーバーに表現した演出が突出してる。いい特徴なのか、悪い特徴なのか判断は保留したいです。
デフォルメされまくった絵だから救いがあるというのも変なんだけど、絵がリアルじゃないからこそできる表現でもあるんですけど、人体破壊の絵面に対してダメージ判定の軽さとに、現実の痛みがリンクしていないからか妙に不快になっちゃうこと私ありました。大人向け要素は、このグロさで一点突破されてたような気がします。

・成長しない主人公のクズのリアルさ
リアルな表現も大人向けのウリの範疇になると思うんですが、続編では脇役になった主人公たちは総じてクズのリアルさが増してます。すげえクズだ。成長する余地の無い大人のクズ要素はもう笑い飛ばせない…でも、それをギャグとして許容されるように書く違和感…クズだ…
そのクズさがまた、これ作者の原体験だろうなっていう父親がクズで耐える母親が、いつまでも再生産されます。母を乞うお子様時代の、悪い子のクズ要素は物語要素として許容できるんだけど、母を手に入れた後どうなったかって成長するでもなく、その母親もまたクズで、それをギャグ時空でしか処理できないという居心地の悪さ。成長できない変われない、不幸をヘラヘラ笑い飛ばす処世術での現状維持。
ウシジマくんとかよりよっぽど胸糞悪くなれるゾ。

・クズ
クズって元からある要素ではあるんですよ。
母乞いなのに、主人公は子供じゃなくて青年って時点で、なんだかちょっと変ですね。これまた90年代の特徴でもあると思うんですが、ネアカ、ちゃらんぽらん、いい加減、ちょい悪俺様主人公というのも流行ったのだ!あかほりとかとにかく流行った!金髪天才主人公は、みんな意地悪いヤツらだった!(偏見)
後にマクロス2とか見て思ったんですが、ストレートに天才っていうキャラがたくさんいた揺り戻しで、ひねった悪い主人公ってのが多かったのかもと思います。あとバブルの残滓のやりたい放題大正義というか。

この90年代天才主人公の外道っぷりが、子どもっぽさに通じて、母乞いが成立するという合わせ技。不幸な生い立ちから許容される子供じみた行動が、物語の中では無批判に許されます。時代の空気もあって許された。
あと、ヒロインであるフルートちゃんの虐待も、90年代はよくあるギャグだった。本当によくあった。今だと許されない女サゲ空気感だと思います。これしか読んでないからおかしいって思わなかったけど、よく考えたらなんだか、どんなに主人公に虐待されても見捨てないヒロインってなんだかなんだかおかしい。DVですわ普通に。

母ポジションであるフルートにはギャグ時空とはいえよく考えたら何の正当性もない容赦ない暴力が振るわれ続け、クライマックスは物語上で重要な回である魔族化したハーメルに胸を貫かれる回。
作者にとって客観化や相対化したりすることはできない、原体験に近い強力な動機であろうテーマと、ピークの作画力による漫画表現で、このクライマックスは圧倒的な正当性をもって解決します。

男の暴力を、全て許容する女による救済。

この前のエピソードで同じく母を失った妹サイザーの暴力の正当性が描かれて、不幸な生い立ち故に行わざるを得ない暴力の悲劇に中二罪悪感を刺激されるのですが、ファンタジーで救済される。リアルだったらそりゃ許されないっていうとこを、母の介入と愛による回復はファンタジーならではの表現が可能とした、夢と願望。そしてその異質な愛の救済の物語に、読者である私は感動しました。した。
愛により振るわれる暴力の絆のかなしさ。狂気の愛。今の日本でメジャーな少年物語で書かれる恋愛ではない、異常な論理ですね。ギャグに包まれたソフト表現で暴力による愛を全肯定した狂気はすごい作品だと思います。

余談ですけど、女が母ポジションしか存在せず、こうしてアンタッチャブルになると、行き着く先はホモの絆なんだなと思います。ハーメルンは母乞いなんで、母への執着以上の関係性は表現されないんだけど。


・父母との確執
母乞うと同時に、父親の打倒が設定されるんですが、父親の陰影は薄い。物語前半の母と父の問題という謎解きがなくなり、ディティールが明かされる後半はより薄っぺらになります。父であり、諸悪の根源の魔王は登場してみれば絶対悪、しかしなぜか深みはなく、両義性を失った書割のような薄っぺらさに感じて、何か変だ…という。作者の人生観の父親像として、父との問題は人間関係の中で解決に落とし込めなかったんだろうなあ… など勝手に思ったりもしています。
ガンガン創刊前の公募賞の審査員は松本零児が筆頭であり、言うまでもなく母乞いモノである銀河鉄道999が代表作です。もしも賞狙いで母乞いを要素に入れたのなら、漫画を職業とできる観点持った作家さんなのか…とも穿った時期もありましたが、それよりももっと、今は作者さんの漫画とはこういうものだという原体験に根差したものだったように感じます。作者さんが読んだ世代の物語である母を乞うことは無謬の正当性があるというか。


スタート時点の母乞いという日本伝統の情念の物語は、途中のハリウッドメソッドのストーリー導入で最初の問題設定と答えがかみ合わずに有耶無耶になってしまい、解決されないまま、情念の解放のカタルシス無いままで物語上大団円を迎え、何の変化もしなかったキャラクター達によるクズのDV家庭が再生産されるという不毛に続いていっていったのでした…


■TVアニメ版
余談ですが、TVアニメ版は、今川監督の自分の得意分野に引き寄せた作品になっちゃったと思ったんですが、同時に、母乞いの裏面である父親との相克が表に出たオリジナルストーリーになったことは相性がよかったのでは、と今なら思います。今川版はみんな父親との葛藤にしちゃうから、近いテーマでラッキーみたいな。
同じくテーマを描いてはいても、母であることより夫への愛をとって女を美しく全うしたと書き切ったのは、物語として美しく、機能不全な母の描写をフルート母のホルンと、ハーメルの母パンドラで繰り返す構成美がありました。父親は不在であることでその存在感を示して、ある意味克服すべき典型的な父親像として描ききられています。最後まで不可解な存在、それでも父としての愛が無条件に存在する不可解さ…。
父母との対決というテーマに収束したのは、原作の材料の再構成であって、テーマも近い。しかしTVアニメ版の対決は、悲惨な最期を迎えます… 視聴後の異常な胸の重さは、思春期に見たことで実情に近かったことと、父母との相克で、子供が負けることもある、ということが衝撃だったんでしょう。
漫画は、父としてのキャラ付が単になくなって、父母と子の対決というエモーショナルな側面が、正義対悪の物語にすり替わって消滅してしまい薄っぺらくなったのか… TVアニメ版のシリアスさには、漫画のギャグは主題からの作者の遁走なのでは、とか思ったりもします。




■現在
ハーメルンってどうなってるかというと、数年前私が見た時点で、版権引き揚げてしまったので、メジャーどころの電子媒体で取扱いありません。人に簡単には勧められないし、オッなつかし〜っていう出会いは無くなってしまいました。
嘘嘘嘘嘘!
アマゾンのkindle版もあるし楽天koboとかで普通に配信してるよ!!!読めるじゃん電子版!!!

追記:
この徒然を書いた後、手元でもう一回読みたいな、古本買おうかな…とか思って、旧刊の電子版を作者ホームページで公開されてるの立ち読みしたら、あんたこれ原稿のスキャンでねえか!!!!!
好きだった漫画の生原稿の美しさ… トーンはモアレてるけど、すっごいキレイなスキャンで、今まで見た電子版漫画の中でも線がめちゃくちゃキレイ。
買います。


少年誌で連載し編集者の手も入っているのに、ぬぐい切れないカルト感とメジャーのバランスが、好きだったのかなと。
…その後、たくさんの漫画読書体験で知ります。連載中に面白くなくなることもあること、自分が好きじゃなくなるかもしれないこと、面白い時、一生執着するような狂気の一瞬というのはまことにまことに貴重なこと…私にとっては15巻に至るまでの狂気のピークと繊細な絵があまりにも大事な作品なので、好きなところだけを好きで切り離しておきたいのでした。