『デミアン』ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳

「卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく。我らが雛で、卵は世界だ。世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。世界の殻を破壊せよ。世界を革命するために。 」
少女革命ウテナ 生徒会バンク

『鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生れようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという』136p

少女革命ウテナってアニメのサブテキストとして読みました。だもんで主人公とデミアン君が、まんま西園寺君と冬芽君やん……以外の語彙が死滅してるので、そんなかんじの感想です。

アニメ本編では、クズ男三連星に名を連ねるキャラの源流で、導く少年と導かれる少年の成長、逸脱するピカレスクなエッセンスは継承してるんだけども、裏を返して、特権意識で他人を見下す結構なクズ野郎共として書かれて、でもそこが少年の少年らしさであっていいところでもあって、男は本当しょうもねえなあ…と思いながら読んでしまいました。表裏一体。このデミアンのような美少年の学園物文学に影響受けた日本の昔の少女漫画みたいなのを、少女革命ウテナは絵や設定でパロディ化したようなところもあるんだけど、デミアンのその青春の空気は直球で継承。孫に隔世遺伝。
少年の青春と挫折の物語は見た目にはサブプロット、青春の雰囲気は底流として消化されたんだなあと思います。アニメの企画、脚本、主要スタッフ全部が男なので、少年達のなれの果てを思い知ってるからこその、実感のこもった自虐もあったんだろうなあと。若いスタッフが、大人は怖い、大人に負けるもんか、みたいなかんじで作ってたそうで、その集合的無意識は、デミアンキャラ二人に、少年に退行させちゃった終わり方で幸せにしてしまう。果てをもう知ってるからこそこの少年っていうキャラクターを守りたかったのかなとか…アニメの二人はまじのクソ野郎なんですが、終盤は少年らしさで好感持たされてしまうのがズルイ。対照的に、このアニメオリジナルであるところの女の子たちは、挫折し、傷つきながらも、一つ階段を上るところまで描かれる。


なんとなくイメージの援用がありそうなところメモ。

決闘場に立つキャラクターには植物の名前が入ってるんですが、デミアン本編でも植物のイメージが印象的。

トビ色の髪の毛がいちばん生き生きとしているのだった。両手は前のベンチの上いのせられていたが、石か果実のような物体のように無感覚に動かず、血の気がなかった。しかし、たるんではいず、ひそんだ強い命を包む堅い、みごとなさやのようだった。100p

さながら秋の木のまわりに葉が落ちるようだ。木はそれを感じない。雨が木にそってしたたり落ちる。あるいは日光が、あるいは霜が。木の中では生命がジョジョにいちばん億の窮屈なところに引っ込んでしまう。木は死にはしない。木は待っているのだ。
103p

莢一、樹璃と、そのまんまキャラクターの説明になりそうな文章。放っておいても変化していく、植物の自然の理を重ねて、成長の空気ってもんがみずみずしく表現されたところです。

――それは私の夢像だった。夢像は彼女だった。息子に似ていて、ほとんど男のように大きな女の姿。母親らしい表情と厳しい表情と不快熱情をたたえていて、美しく誘惑的で、美しく近づきがたく、魔精と同時に母、運命と同時に愛人だった。それが彼女だった。

アンシーのような、投影されて崇拝される女も出てくる。デミアンでは、母として霊的な存在の完全な女としての形は崩れない。少女革命ウテナは、その夢の女の正体を描いたアニメでした…。このあたり、初期プロットのマザコン理科教師の西園寺、あたりにも引きずる気がします。

そのひとりひとりが、自然の貴重な、ただ一度きりの試みであるような人間が、おおぜい弾丸に当たって死んでいる。われわれが一度きりの人間以上のものでないとしたら、われわれのだれもが一発の銃丸で実際に完全に葬り去られうるのだとしたら、物語を話すことなんか、なんの意味も持たないだろう。8p

最初の企画は、銃にしようとしていたと。銃弾で、自分だけの欲望を持って決闘に臨むキャラクター達が倒れることにコンテクストの重さがついていたのかもしれません。

――アクションの見せ場という所で、どうしたらもっと面白くなるかとか。

幾原:最初ね、銃っていうアイディアもあったのよ。銃で決闘するという話もあったんだけどね。それはやめたんだよね。「それは駄目だろ」っていう話にして。
何で駄目かというと、その時アメリカとかで起こった銃の事件が日本で報道されてて、でそれが結構気になってたのかな。
主人公が銃を持ってて、それを人に向けるっていうのはあまり良くないんじゃないかと思って、銃はやめたんだよね。
榎戸は「絶対、銃だ」って言ってたんじゃないかな、最初は。

さいとう:そうだったかもしれない。結構銃でデザインしたような気がする。

幾原:最初はね「銃だ」って言ってて。で、俺は「銃は駄目だ」ってずっと言ってて。で、結局剣にしたんだけどね。本当は銃の方が楽だったんだけどね。色々バリエーションは銃の方が出たかもしれないんだけど。剣だとバリエーション出すのが大変だったね。
今、もう1回やれって言われたら、絶対銃にするね。だって、剣大変だもん。振り回さなきゃいけないじゃない。

さいとう:たしかに。

幾原:描くの大変なんだもん(笑)。巧い奴じゃないと描けないんだもん。銃って構えてるだけでいいから、描けそうって思うけど。剣はね……今は描けないとか思っちゃうもん。今だったら絶対剣にしないね。今は銃。

さいとう:(笑)。

幾原:次は銃にするか(笑)。
http://kasira.blog97.fc2.com/blog-entry-81.html


ただ、アニメ本編は非常にドライブ感のある制作状況というか、独立したての監督のもと、若いスタッフ達がほぼ狂気の中で、持てる全て以上の熱量をつぎ込んで、作ってる内にどんどん内容が変わっていったとのことなので、デミアンの空気は最初に用意された素材の一つ、くらいと思います。
青春!!!っていう胸をかきむしられるかんじをプレイバックできたので、もう自分の青春は終わったんだなと思い知らされた読書体験でした。郷愁。今アニメ見てハマってんのもそれな。

多くのものは、幼年時代が腐ってしだいに崩壊するとき、すべてのいとしまれたものが私たちを離れようとし、私たちが突然宇宙の孤独と恐ろしい冷たさを身辺に感じるとき、一生のうちただ一度だけ、私たちの運命であるところの死と再生とを体験する。そして非常に多くのものが永久にこの暗礁にひっかかって、一生のあいだ痛ましく、取り戻すよしもない過去から、あらゆる夢の中で最悪で最も残忍な夢である失楽園の夢から、離れることができないのである。
75p