アニメ「戦争童話集」全部見た

アマゾンのプライム(\3900/年映画観放題とかサービスいろいろ)のアニメカテゴリの中で、「戦争童話集」が見られます。
あんま見る機会の無いアニメですけど、タダで見れるぜ!金払ってるんでタダじゃあないんだけど、まあタダなんで。
「戦争童話」とかこわい名前ついてると、まず金払って見ないよなー

制作が日本有数の児童アニメばっか作ってるシンエイ動画ドラえもんクレヨンしんちゃん世界名作劇場…)なんでアニメーション技術の高さはお墨付きのはず。毎年夏放映のために年一で作ってるそうで、本でも映画でも戦争モノは名作判定に面白いもんあるし、金かけててリッチなはずなんで、これももしかしたら超面白いの入ってるんじゃないかという、ゲテモノ嗜好で見ました。

モノがモノなんで、エンタメではなく大上段に「教育」ってのがくるんですけど、それ以上に教育だからって、表現が人に伝える表現としてそれが適切なのかっていうとこもあると思うんですよね。かつて学校とかで見た私の思い出からして。「トラウマアニメ」とかで検索すると出てくるようなさ。
「戦争童話」というジャンルであるとき、それが反戦であることは疑いのないスタンスで、重要メッセージであるんですが、それがために日常から敬遠されるっていうとこあるんで、今わたくし悪いことしたい年頃なんで、あえてこの日常に、深夜にプリン食べながらツイッターと犬猫動画と3窓でダラダラ流すぜ。

オススメポイントと、安心して見られるように最後までのあらすじ付でメモしておきます。


↓一番オススメ↓
お父さんの防空壕 (4作め 2005年)

  • 主人公→死なない
  • 児童画っぽい衝撃的な止め絵演出→無い
  • ドン引きシーン→無い
  • 著名声優→飛田展男折笠愛


一番おすすめ。ドラえもんのシリーズっぽいというか、藤子不二雄SF短編集のような味わい。ストーリーが普通に面白い。キャラクターもシンエイ動画っぽい丁寧な人間の動きの堅実な芝居と、時々、おまえ旧ドラえもん描いてただろうっていう絵なんで、最後まで安心して見られて面白い。

おはなし:
出征する前にお父さんが掘った防空壕の中で、ユウちゃんはなぜかお父さんに会うことができました。お父さんもビックリしていたものの、いっしょに伝令にでたり、お父さんといっしょに戦闘機に乗ったり…お父さんといっしょに戦争をする楽しい時間と、現実ではお父さんの戦死広報が届き、終戦を迎えて防空壕は埋められ、ユウちゃんはお父さんに会えなくなります。老人となったユウちゃんは、防空壕の中でお父さんの戦争はまだ続いているんじゃないかと考えるのです。

あと、このシリーズは全体的に声優さんが超豪華なんですが、主人公の父親の声がやたらとものすごくカッコイイんで、スタッフロールみたら飛田展男やん。(古来よりのイケメン声)。最高。


青い目の女の子(8作目 2009年)

  • 主人公→死なない
  • 児童画っぽい衝撃的な止め絵→無い
  • ドン引きシーン→無い
  • 著名声優→桑島法子島本須美

最新作。見やすい部類。ファンタジーな要素があります。

おはなし:
田舎に、日米ハーフの青い目の女の子が転校してきます。いじめられる女の子を、主人公はかばいたいと思いつつも、お父さんたちの戦死広報が届き、子どもたちや村人の憎悪は青い目をした女の子に向けられていきます。爆撃があり、女の子、主人公とも家族を失い天涯孤独になりました。女の子は収容所に行くことになりますが、子供たちは協力して女の子を逃がし、主人公と女の子は「戦争のないところ」に行くために、船に乗せてもらいます。

報われる子どもの友情!そして、中盤のえげつない人間模様と、最後はファンタジーによる救いがある話です。救いなのか…?っていう含みもあって、いいと思います。よくできてる。
キャラデザはそこそこ子供向け。田舎の子供シーンがあいかわらずいい動きして、アニメがよくできてる。アニメ見る人的にはいい。


ウミガメと少年(1作め 2002年)

  • 主人公→死なない。が、出てくるキャラは、家族友達にみんな死ぬ。
  • 児童画っぽい衝撃的な止め絵→ある。オープニングで流れてる絵からして不快で怖い。
  • ドン引きシーン→ある。友達がグロ死体になるシーンあり。怖がらせるための絵があるので怖い。
  • 著名声優→土師孝也

エンタメアニメーションの要素は無い。戦争モノ児童文学のようにつまんない話といえばつまんない、児童画っぽい絵がとにかく怖い。ストレートに不快な絵で怖い。

おはなし:
沖縄の子供たち3人組が、爆撃で家族が死に、恐怖の中逃げる途中で友達二人が無残に死ぬ、主人公はたどり着いた海辺でウミガメの産卵を見る。卵を大事に見守るが、餓えて全部食べ尽くしてしまう。おしまい。

キャラデザは世界名作劇場で有名な関修一。これに限らず、このシリーズは、スタッフが子供向けアニメのベテラン揃いで豪華。
これは、典型的な戦争アニメのイメージを地で行く作品でした。怖くて不快。視聴が快適ならいいのかって問題もあるけど、じゃあ怖くて不快でいいのかってのもあると思うんだよ。
止め絵演出って、昭和のアニメってか練馬の東宝アニメで多用されたんで、おひざ元(練馬隣の田無)にあるシンエイ動画でも大得意。こういう演出できる人少なくなったから珍しいとか、10年前くらいになんかのアニメのコメンタリーで聞いたことあります。
衝撃を与えるシーンに手描き感ある劇画調の情報量のある止め絵をバーーーンと出すんだけど、この作品ねえ、なんでそんな怖い絵をっていう超怖いイメージ絵を止め絵で使うんですよ。具体的には女の子が死んだシーン、主人公が駆け寄りひっくり返すと、バアアーーーンと画面いっぱいに真っ赤な髑髏の肉片のようなイメージ絵。こわいいいいい!大ショック。トラウマ。
それを狙ってるんだろうけど、私このアニメ見たくないし、こういう体験をしたくないと思うんだなあぼかあ。まじでこわい。

戦争童話シリーズの1作目。「戦争アニメ」の方法として戦争の悲惨さ、残酷さを表現するために考えられた演出なのだと思います。
でも教育系戦争モノトラウマとでも言う衝撃的な怖い絵を見せるこの手法によって、戦争が怖いっていうより、反戦教育とか反戦そのものが、怖くて不快な敬遠されるものになってしまった気がします。訴えたいことは確かにそうかもしれない。作り手の強い思いを感じる。でも見た人がどのように受け止めたか。
それを知るには、「戦争はよくないと思いました」としか書くことが許されない感想文じゃあ、「怖くて見たくなかった」とは出て来ない。でも、なんでも感想言っていいといわれたら、反発したり、子供っぽすぎるとか演出がダサいとか、けなして否定することでしか、まずは与えられた恐怖や理不尽さを、解消できないかもしれないと思うんです。大人である私が今やってるのが、まさにそういう試みだったんですけど。
作品として語れる余地もあってほしいと思うのです。とにかく嫌過ぎて、反戦まで嫌わせちゃダメ。

実は戦争童話集、シリーズ進むとテイストがどんどん変わっていきます。戦争モノを作るにあたって、作り手による慰撫や自己満足(決してそんな性格のものはないと思うのですが、自分の納得や矜持は譲れないものあったろうと思います。)ではなく、教育する、アニメを見た人に伝えるという真摯な態度の試行錯誤と思います。


小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話(3作目 2004年)

  • 主人公→死ぬ。死ぬのはクジラ。
  • 児童画っぽい衝撃的な止め絵→止め絵はあるけど衝撃的ではなく、お魚戯れるファンタ ジーなシーン。
  • ドン引きシーン→人間じゃあないんでまあドン引きではないかも。
  • 著名声優→折笠富美子、草尾 毅(どこにいた?)

主人公はクジラのおさかなファンタジー。デジタル黎明か、効果がちょっとデジタルデジタルしてるとこあるんですが、海中シーンなど児童アニメっぽい。ディズニーみたいに驚嘆するような動きが楽しいっていうもんでもないし、いかにも童話作りましたっていう児童文学っぽい話なんで、絵もあいまって、小学生には子どもアニメっぽすぎるように受け取るかも。かといって、幼稚園児にもなんとも。

おはなし:
クジラの主人公は、恋の季節を待っていましたが、遅れて集合場所にたどりついてみるとすでに、爆弾でみんなやられてしまいました。
クジラ一人称と同時進行で、子どものような見た目の初年兵が、航空機から潜水艦乗りになるまでが描かれます。クジラは自分のように大きな潜水艦に恋して猛烈アタック、敵の攻撃かとすわ勘違いをしたけれどクジラとわかって、親しみを覚える潜水艦の人々ですが、会戦になり、クジラは潜水艦を恋人と思いこんだまま爆弾からかばって爆発四散しました。おしまい。

交わらない二つの視点、無垢なクジラパートと、キャラのデフォルメのために児童のような見た目の潜水艦乗りによる、寓話感ある話ではあるんですが、演出がまだスタンダード(?)な戦争モノを引きずってるせいか唐突。最後の爆死シーンで、画面が4分割して終わるとか、演出がダサく感じる。二つの異なる視点が交わらずに進むという構成上、話の焦点が感想に結びつくほど合わないんで、イマイチ感ある。感想はクジラがかわいそうでした。おしまい。


焼け跡の、お菓子の木(5作目 2006年)

  • 主人公→死ぬ。登場人物は全員死ぬ。
  • 児童画っぽい衝撃的な止め絵→ある。空襲シーンで人間の恐怖を表現したシルエット絵とか。でもわりとマイルドかな。
  • ドン引きシーン→あるかも。子がお母さんの死体のそばで佇むシーンとかあるけど、話の流れの中なんで、際立ってドン引きってもんでもない。
  • 著名声優→日高のり子

おはなし:
主人公の悪がき軍団が、洋館に住む体の弱い子と交流。お母さんは、少しでも子どもに食べてほしいと、街のお菓子屋さんでただ一つのこったバウムクーヘンを求めます。食糧難でおなかをすかせた子供たちは、絵本に出てくるお菓子の木の話に憧れます。
空襲で悪がき軍団は親を亡くし、燃える町を逃げ惑い、秘密基地に子供たちだけで逃れます。洋館は燃え落ちて、家の様子を見に行ったお母さんが防空壕から出て行った後、出られなくなった息子は焼け死んで行く中、隠しておいたバウムクーヘンの欠片を地面に植え、夢のような時間の中お菓子の木がムクムク育ちました。悪がき軍団が街の焼野原にさまよい出ると、お菓子の木が立っていました。その根元で子どもたちは、お菓子の木を食べながら、一人また一人と消えていきました。おしまい。

後味は悪ーい。ファンタジーとの切り替わりが、子どもだけの生活→即死なんで、同作者の「火蛍の墓」と同じ構造。親の無残な死を目の当たりにした後に、束の間の子どもたちだけの安息と、夢の中で幸せに死ぬシーンって、作り手目線だと鎮魂の寓話なんだよ。
でも見るほうが、そんな作り手のことを考えるかっての。鎮魂のファンタジー表現を、視聴者である子どもは、どう感想に結びつければいいのか。「自分はどう思いました」ということではなく、作品としてのメタ的な感想を求められてしまうわけですよ。今まさに私が描いてるような「これは鎮魂の表現である」という言葉にしなきゃなわけ。感想の難易度高い。
演出の方法として直接的な血みどろや残酷なシーンを描かずに、キラキラした夢幻のファンタジーシーンが多用されてるという、それまでの路線から大きく逆に振った一本なんですが、過渡期って感じします。リアルに描くとドン引きされるけど、この悲しさ、理不尽さを伝えるにはっていう。
子どもが遊ぶシーンのアニメーションは、相変わらずいい動きしてる。


ふたつの胡桃(6作目 2007年)

  • 主人公→死なない。現代っ子がタイムスリップ!な話なんで。
  • 児童画っぽい衝撃的な止め絵→無い。
  • ドン引きシーン→無い。
  • 著名声優→喜多村英梨。最高。松本梨香

おはなし:
現代の女の子が戦中にタイムスリップしちゃう話。最後は当時の友達が老人になった姿とと再会。いい話風味。

キャラの絵はプレーンなかんじで、中学生くらいでも普通に見られる絵の作品。主人公が持ってる携帯がちょっと古いのがタマにキズですが、現代っ子が戦中の嫌な雰囲気を現代っ子の感性で味わうんで、これは見やすい。生活通して、何が違うか比較でわかる。空襲でシーンが、今までの作品では怖い止め絵のイメージ映像多用でしたが、炎を避けて走る、暗い街中を逃げるリアル寄りの演出で、真に怖いように思います。
感想も、何が嫌っていう具体的な嫌ポイント挙げ易くていいです。これは教育って観点で見たとき、使い易い一本ではないかな。


キクちゃんとオオカミ(7作目 2008年)

  • 主人公→死なない。
  • 児童画っぽい衝撃的な止め絵→無い。
  • ドン引きシーン→無い
  • 著名声優→川澄綾子。最高。島本須美。お母さんボイス最高of最高of最高。そしてオオカミは野沢雅子

満州引き揚げの話。タイトルのキクちゃんは幼児。でも、幼児一人称視点ではなく、オオカミ一人称の動物児童文学風味。

おはなし:
引き揚げ行の途上で、はしかを発症してしまったキクちゃんを、お母さんは必死に隠しますが、他の子に感染したら一団が動けなくなってしまうという状況で説得され、朦朧としているキクちゃんを泣く泣く荒野に置いていきます。キクちゃんを腹を空かせたオオカミが狙いますが、そこはファンタジーで仲良くなる。狼はキクちゃんを連れていけないので、人間の街に連れていってやりますが、そこはすでに放棄された日本人街だったので、掃討に巻き込まれて幼児は大怪我をします。狼は後悔をして、幼児に水を与えて介抱していたところ、それを見ていた人民兵が、狼の傍に人間がいる!と、狼を撃ち、あっ日本人の女の子だ、助かるといいなと言いながら連れて帰ります。おしまい。

キャラクターの絵はサザエさんぽい。かわいそうで理不尽な動物もの。満州引き揚げにピンポイントでフォーカスした1本。機銃掃射からの後に死体が散らばるシーンが、今まで路線のドーンとした止め絵じゃなくてアニメの流れの中なんで、印象的。絵を見るのが嫌だっていうドン引きとはまた違う系統で、物語の中で描かれる効果的な演出だと思います。血が吹き出たりとかはしない、あくまで統一されたトーンの中で描かれるんで、パッと見で生理的嫌悪ある絵が嫌ってかんじの絵は無いです。
いい話なんですが、動物モノなんで、感想が狼視点になっちゃうと、何がなんだかな感想文を書いてしまいそう。狼がかわいそうでした。おしまい。みたいな。


凧になったお母さん(2作目 2003年)

  • 主人公→死ぬ。母も死ぬ。
  • 児童画っぽい衝撃的な止め絵→ある。オープニング。空襲シーンなど。怖い。
  • ドン引きシーン→ある。お母さんの情念のシーンの絵がものすごく怖いキモイ。お母さんの焼死体をゴロリとどけてはい出るシーン怖い。
  • 著名声優→折笠愛。お母さんボイス最高of最高。こおろぎさとみ二又一成

一番の問題作。だと思う。
2作目なんで、ウミガメと少年と同じ路線で、戦争アニメらしい、怖くて不快な衝撃的なイメージ映像止め絵の演出。
そして、戦争モノにありがちな、妙なファンタジー要素の話。「妙な」って書くと怒られそうだけど、この身の置きどころのないかんじって、戦争モノ児童文学ジャンルしか思い当たらないんで。戦争にふみにじられる母の思いという話なんだけど、だからってアンタッチャブルで許されると思うなよ。

お母さんのアニメのお芝居は、本当丁寧で、薄幸そうなキャラデザとあいまってほれぼれするような艶っぽいいい動きします。すごい。

すごくデリケートなところで、言い方が難しいなと思うんですが。
父親が出征して、母と子だけの家庭で育った子どもが、長じて反戦文学を書く。父親不在は、現実にあった状況でもあるけど、母子が密着していたその時代は通常の感覚より母が絶対の存在になってたと思います。善いことのすべてがお母さん。
で、反戦文学の受容者であるところの、現代の子供の状況も、仕事でいないからお父さん不在で、ダブるんですよ。このときに、戦争モノとかジャンル話抜きにして、こういう作品読むときにはお母さんお母さんって信じて求めて肯定する快楽が生まれてると思うのね。母を慕う快楽。
いいことか悪い事かはさておき、反戦児童文学の書き手が、かつて戦争を母といっしょにすごした子どもであるからには、逃れられない絶対のリアルであり、教条でもあると思います。ですが、作者もそれは自覚があるでしょう。

おはなし:
戦時下での苦しいながらも楽しい母子の生活、やがて襲ってきた空襲で火にまかれ、熱い熱いという子にお母さんがもろ肌ぬぎになって汗を塗りますが、やがてそれも絶えてしまい、お母さんは悲しいことをたくさん思って涙で子を濡らします。焼け後、子が真っ黒に焼け焦げたお母さんの下からはい出ると、お母さんは元のお母さんの姿になって空へのぼっていきました。子はお母さんを待ち続けますが、やがでまたお母さんが空から降りてきて、二人は凧のように空にのぼっていきました。おしまい。

さっき「妙な」って書いたけど、それは作者による鎮魂の表現でもあるので、鎮魂の対象を書く戦争モノでしか見ないってことでもある。あらすじが妙にフワフワしたもになるのは、ポエジーな表現がされてるから、ストーリーというレベルには落とし込めないです。
炎の中、死につつある子を抱えたお母さんが考える悲しい事は、こんな時代で何一つ楽しいことがなかったと、子をひたすらかわいそうに思い、せめてお母さんに抱かれた楽しい夢の中で…という、聞くも涙語るも涙のシーン。お母さん声の演技とあいまって、この母の一念が哀切が過ぎるんですけど、絵がものすごく怖い。怖すぎる。キモい絵。とあえて言いましょう。目を背けたい流血と炎ので描かれたような真っ赤な女のイメージ絵。トラウマ。

題材に母の思いをとられると、受け手も弱いところなんでアンタッチャブルになってしまう。怖いし気持ち悪い絵なんだけど、と言えない。それはさておき、母恋い、母を慕うという古典ジャンルを、戦争モノは、なんのてらいもなく書いて許されるジャンルでもある。戦争+子ども+お母さん。古来からの鉄板だよ。

ウミガメと少年と並んで、ああいわゆる反戦アニメだなあってモヤモヤする。このモヤモヤってアンタッチャブルなところが見えてるからモヤモヤするんだろうなと思います。戦争モノってか、それ以上に、母恋いモノとして純度が高い作品です。近親相姦にも近い描写の母恋いポエジーなのでストーリーにすら書き起こせない以上、「戦争はよくないと思いました。」以外の感想は、文章の形では書きにくい。それでいて、ポエジーを観賞するメタ視点を、母子密着の渦中にある子どもが持てるかって言われたら酷。好きでも汗塗るシーンとかモヤモヤするだろうし、お母さん嫌いな子だったらキツ過ぎるだろうなあ…
今日私が書いたみたいなこと書く子どもがいたら怖いわ。私はキモヲタなので、お母さん属性ポルノとして楽しむことできる。

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この戦争童話シリーズの原作は野坂昭如です。
開高健は(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47322)そのシニカルと近さから、ジャンル作家になってしまったと半ば笑い話にしていますが、戦争文学といえばの代表者。火蛍の墓のアニメがでかいよね。
最近もまた刊行されたそうです。野坂昭如さん「戦争童話集」 黒田征太郎さん、忘れないため絵本に2015.8.12
http://www.sankei.com/life/news/150812/lif1508120015-n1.html

母が無力で、社会的な力が無いものとして描かれてきたことについて、戦後の愛国婦人会の批判なんかでもう散々使い古した批判なんですけど、当事者である子だった人が書くところには絶対の真情がある。これは、その人を批判してはいけない。社会の状況として表出したときに、問題点になるのであって、それは客観的な事実ではなく、主観の、人間の真実というものなんだもの。
このアニメシリーズも長いので、最初の時点でのスタッフと世代の差が出てきていると思います。もしも自分の近しい体験だったのであれば、恐怖の表現をとることは自然だし、それしかできないし、それ以外の方法では欺瞞になってしまうでしょう。教育という俯瞰の視点から逸脱して、当事者としての切な発信があるように思います。


反戦の側を書くということは、カッコ悪くて不快です。作者の人生で一番不快で、恐しいことで楽しくない思い出だったんだから。その反証としてたどり着く先は、理想であって、人によって様々な形です。だもんで、みんなが納得する結末のカタルシスにはたどり着けない。みんながOKの正解あるとしたら全体主義とかだよ。

反戦というカウンターカルチャーが併呑してる傍流のサブカルチャーが、左翼とか共産とかヒューマニズムとか自然主義とか宗教とか自己実現とか、濃度も様々に合流しちゃってたりして、その類のサブカルチャーってのがまたクソまじめで人生かけてたりするものばっかりだから、戦争エンタメのほうがお気軽で楽しいものなんですよね。胸躍る戦闘は、いろんな作品でも楽しめる。そこにカッコよさも、楽しさも、美しさも、アーティストとしての気概も全部ある。なのに、反戦ってテーマをとったときに、反戦という否定表現に+その人の人生かけてる理想が混ざって、属人性の強い異様なジャンルになる。この組み合わせは、ほどけない。

戦争がダメという結論の先に理想を描くとそれはもう個人のものになってしまうので、これがダメだという反証をゴールにするのが妥当ですかね。だから、シリーズ最後のほうの作品の、反戦の着地点として「現在」(二つの胡桃)は、できるだけ万人をターゲットにした着地だと思います。見てる人であるところの子供が、よく知ってるものだし。

一抹の不安ですが、この結末が妥当なものとして受け入れられる時代がいつまで続くものか。反戦の着地が「現在」っていうのは、現在がそこそこいいものだからこそ受け入れられるもので、もしも現在が悪いものでれば何の説得力もなく…
もうこのシリーズ作られてないんですけど、戦争を反戦側から表現した作品を、また違ったアプローチで見たい気がします。


余談ですが『超・反知性主義入門』(小田嶋隆2015)という本があります。
今日私がやったことは、だいたい書いてあることです。

近年、「『学級委員長』的言説」が忌避され、「『本音』が、まさに『本音』であること自体によって免罪されるはずのものだということを、強烈に信じ込んでいる」(p107)
「善悪や正邪とは別に、『本音』と『建前』という座標軸が現れた時、無条件に『本音』を神聖視する考え方が力を持」ち、「『露悪的な人間ほど信用できる』という倒錯が生じ」ています(p109)。
「差別の問題でも、いつの頃からなのか、ネット論壇の流れは、差別を指摘する言説より、『他人の差別をあげつらう人間の傲慢さ』や『差別されている側に寄り添ったつもりでいる人間のドヤ顔』を揶揄する」物言いの方が、より高いポイントを稼げるようになっています(p139)。

自分は大変スッキリしたんで満足です。サンキュー!