科学的事実の歴史 『人類が知っていることすべての短い歴史』を読んで

今当然だと思ってることが、結構新しい考えだったりする驚き。

恐竜の絶滅原因は、地球に隕石が衝突っていう説が1980年発表、当時は主流の火山活動説や氷河期説などの緩やかな絶滅説と同等というよりもキワモノ扱いで、1994年に木星にシューメーカーレビー彗星が衝突してその破壊が観測されたことで一般的な説になったそうです。
恐竜扱う古生物学由来の発見ではなく、地質学者が世界中に薄く積もっている堆積物を研究→そのパパがなんと物理学者で堆積物を分析、なんか地球外由来の成分だったんでこれ世界中に積もってる原因って思い当るの巨大隕石衝突じゃん、ってことで発表されたんですが、それまでの生物は長い年月をかけてゆったりした絶滅と進化をするっていう歴史観はいきなり覆らなかったわけ。だって地球上全てでそんな突然絶滅するとか不自然なんだもん。っていう。

大陸が移動するっていう、プレートテクトニクスも、WW2中のドイツの科学者が発表したばかりにキワモノ扱いで、1980年くらいまで米国の学者の半数は信じてなかったとか。川で削れた地表は、海の底に泥となって堆積してると思ってたら、潜水艦で調査できる時代になってみたらそんなもの無い!海底には山脈が隆起していて、ずるずる底が動いてて地表が地球内部に向かって落ち込む溝がある、こんなことわかってきてプレートテクトニクスありってなっってく。海底ってすごく新しい分野。
地球の内部の構造も、理論はあったけど実際掘り出して予想と全然違うことわかってきたのは80年代。


太陽と惑星みたいな原子の構造図、ってあれ長岡半太郎が1904年に作ったもので間違ってるんだそうです。教科書もあの絵だったのに!
原子核(陽子+中性子)の周りをぐるぐるしてる電子は、全ての位置に同時に存在してる(!量子的飛躍!)ので、軌道を描くことは無いけど、特定の領域からは出ていかない(弱い核力)モヤモヤした雲っぽいってかんじだそうです。ってかんじ。
この図のイメージから、世界の中に極小の世界のような詩的なイメージが生まれてきたけど別物だったと。
物理法則が、超小さい原子の場合は違うよっていうことで、時間の経過がなく移動してるとかもはやSFより理解の範疇外ですが、そうなってるもんはそうなんだそうです。
科学者曰く「聞いて怒り出さないのは、理解していない人間だけだ。」


ちょうど、今30くらいの人が小学生くらいのときに一般的になった説なんですね。年上の人は、もっと違う世界観で生きてた。科学に興味あって学問修めた人ほど、違う世界を印象に残してたはずです。
人間が観察した結果の積み重ねで、そのときどきで人間が馴染みやすくて理解しやすい事象が、どんどん複雑化して、人間とは何の縁もない不可思議なものになっていく流れ。今アメリカ流行の、ID論(全てを作った高位存在を仮定しないと世界が人間に都合よく出来過ぎてるっていう、キリスト教論の一派)も、人間が理解できる事実だけを見ているから出てくるようなもので、現実は非情でして意志の理解が及ぶような神的なものは不在です。物理学は「たわごとと区別がつかない」ほど、今や理解不能なものになっているそうで、そりゃなんでも説明できてた昔のほうがよかった、というバイアスかかるわな。
世界というか自然が、本来人間とは全く関係ない、という神との断絶を個人の人生で繰り返すのは辛いのかもしれない。スピリチュアルも必要悪なんだなと思います。人の人生は短く、偶然で、終わりやすい。

ちょっと思い出したのが大長編ドラえもんシリーズ。
のび太の恐竜が1980年なんだけども、日本と北米を移動とかプレートテクトニクス説で、この当時すごくホットな科学。
竜の騎士は、地球の構造がわかってきたころに地底の謎に、隕石衝突説。
海底鬼岩城は、海の底は地表が削れた泥の堆積じゃなくて山あり谷ありな地形だという科学知識…初期の大長編の魅力は、フロンティアの科学のワクワクだったんだなあと思います。