『隠喩としての病い・エイズとその隠喩』スーザン・ソンタグ

この前読んだ『がん 病の皇帝』で、癌のイメージの変遷を説明するときに言及されていた本。『がん 病の皇帝』では、アメリカのがん撲滅キャンペーンに、周到に計画されて戦争の用語が使われたこと書いてありました。これはその逆で、歴史や書籍から病のイメージを読み解く本。

結核なら、情熱的な詩人が破れた恋の末に痩せ細って、最後の燃焼の輝きの末に死ぬといったイメージ。その実際のところの苦しみや悪臭とは別にして。チフスにかかって死ぬのは罰だけど、結核で死ぬのは選ばれし者。
病気にかかるということは、肉体の不調それだけではなく社会のイメージを強制的に引き受けてしまうことでもある。がんと同じ死病だった結核には喀血のロマンチックさがあるのに、がんがその部位が乳房や大腸、睾丸といった箇所であることから恥ずべき隠匿すべきもの、ゆっくりとした進行から怠慢の罪をしていたような罰まで与えられてしまう。

米国でゲイにエイズが流行とされた文脈では、異常な性行為をする反社会的なグループへの罰という烙印になる。アフリカ発祥という第三世界からの侵略というイメージや、血友病や輸血による無垢の被害者と性病という自己責任という図式など、病を巡るイメージに挙げられている膨大な事象。病気が天罰という理解は目新しいものではなく、その古来からのイメージの復権や、隠れた人格を表すとして個人に責任が負わされたり…

ちょっと消化しきれてないので、感想がうまく書けないのですが、病気で苦しいってのに、罰とかまで個人で引き受けるのは重いわ。