『サバービアの憂鬱』大場正明

絶版書籍でWebで全部読めます。すごく面白かった。ちくま文庫なんかにありそうな本なのにタダじゃんスゲーッ と読みました。
http://c-cross.cside2.com/html/j0000000.htm

1950年代に生まれたいかにもなアメリカンファミリーが住んでいるアメリカの郊外の文化、を題材にした小説、映像作品から郊外文化というものを見て、作品を理解していくという内容で、Web公開ならではのyoutube埋め込んでくれてるし、著者の関連文章もリンクがついてて、コンテンツとして本よりも機能性いいです。リンクされてる年表や関連作品一覧も本より便利。

この時代については50年代の諸相を書いた『ザ・フィフティーズ』くらいしか読んだことないんですけど、バッファロー'66という映画見てひどく心揺さぶられたもので、Webで検索してたら映画の監督インタビューにひっかかって、サバービアという聞いたことない単語見て読み始めました。
http://c-cross.cside2.com/html/a20ki001.htm

彼は、あまりにも幸せだった。彼とネリーは若く健康で、ふたりの子供はもっと若く、そして間違いなく、もっと健康だった。
http://c-cross.cside2.com/html/j00sa037.htm#a

ちょうど今の自分の人生とも重なるところでして、夢のマイホームってやっぱり、幸せになれそうな気がしちゃうんですよね。っていうか幸せになりたい。
実家が転勤族だったのですけど、父親が家買った頃にはもう子供は大人になっててすぐ出て行っちゃったし、マイホームの中には歴史も無いし幸福も詰まってなかった。で、私は、女三界に家なしで将来が不安なので、家が無いから自分で獲得するしかってことで今この年齢が正念場なわけですよ。年とって家一個欲しくなっても無理そう。
でも、それって病気とかで働けなくなるとか、子どもがでかくなっちゃったりして、年とって住宅の幸福のイメージから外れちゃったら、不適合者としてもう幸せじゃないってことなんだよねえ…

この類の夢っていうのが50年代アメリカ発祥で、復員兵のために作られた郊外住宅といっしょに売られたものでした。今に至るまで連綿と続く買える幸福のイメージ。働いてお金を作って物を家を買う。その家の中にはパパママと小さな子供。

スピルバーグ映画を今年結構見たけど、やっぱりあれ変な映画なんですよね。物質的にはものすごく豊かなモデルハウスみたいな郊外住宅の中に住む人なのに、幸せが無い。
パパママ小さなこどもが住む幸せな郊外住宅はどこにも先が無い終着点としての幸福なので、小さな子供たちが成長してしまった後どうなるんでしょう。ホラー映画やコメディであれ、まじめな小説であれ、郊外の子供たちが後に作った作品の不幸さ。バッファロー'66の最初で笑っている子供時代の写真が出る場面なんか、もう暗澹とするばかりで本当につらくてなあ…

作られた郊外文化の外へと排除されたものは何か。そしてまた郊外の街そのものも時代に耐えられずにすでに崩壊したものであり安住の地ではなかった、と。図らずもわりと人生のきっかけになる本でした。自分に問題だから、この類の作品が最近面白かったんですねえ。青い鳥でも読むか。


余談ですが、最近アメリカの絵本読むこと多くて、三色刷り名作絵本みたいな古さだと郊外文化の幸せがいっぱい書かれていることに気が付くんですね。パパママと小さな子供がいる家。家電でいっぱいの便利なキッチンやポーチの前に広がる綺麗な芝生といった小道具もだけど、言われてみれば黒人がいなかったり、都会とのつながりがないどころか何にもない家しかない街の抽象的な家だったり。あこがれていたのは絵本の世界だなあ…と。

さらに余談。近年の都会住まいから、住宅地に居を移したんですが、同じ市で起きる事件がなぜ自分のところでも起きないのかという逆説的な不安を持つようになってました。燃えた家はなぜ自分の家じゃないのか説明がない。都会だとドアの向こうに住んでる人間が、年も違うし、国さえ違うかもしれないんで他人の幸福や不幸を思いもしないんですが、今住むここだとドアの向こうに自分が住んでいるような錯覚もあります。わかってるけど、郊外の不安ってやつです。
この世界観だと、子供が小さいときが人生最良のときで、子供が映ったホームムービー見ながら長い後悔を生きることになるんだねえ…。なんて数の人間を不幸にした夢なんだろうか。