『普通の人びと』クリストファー・R. ブラウニング

市民生活の中の戦争状態を記録した本。被害者としてではなく加害者として。

WW2でドイツが戦勝していくと前線の軍人とは別に、占領軍が必要になってくるので、そこに予備役の平均年齢39歳という少し高齢の人たちが投入されました。若い現役兵士とは違い、家に帰れば労働者で家族がいる小市民、ナチズムではない体制の時代も知っていたような人たちです。この普通の人たちがユダヤ人を虐殺、絶滅収容所へ移送する組織の末端として働いたのです。

若い人とは違う。若い職業軍人のように軍隊内の出世には関心がなく、除隊すれば本来の自分の職業があり、その人生で培った人生観も別にある。自分の家族と同年代の女子供の射殺に抵抗を感じて悩む人も悩まない人もいた。けれども全体の結果として組織的な虐殺が機能したという事実。毎日毎日仕事として訪れる街でユダヤ人を追い立て何百、何千人も射殺する慣れ。同僚との結束によって殺人は正当化されていく。
普通の人は、職場でトラブル起こしたくないじゃん、規律を乱す面倒なやつだと思われたくないじゃん…

殺人から心理的にも物理的にも距離を確保するシステムの改良進化によって、より能率的に殺人が加速する…
殺人者の心を守る欺瞞を作るシステムは、軍隊という機関であったり、行政上の手続きであったり、犠牲者を汚物の悪臭にまみれさせて嫌悪感を強めたり、細分化された局面の一つ一つが突然個人に迫るので、問題を認識して悩む時間もなく抵抗できない。

悪い人はどこにいるのか。どこが悪いところなのか。こういうの読むと、反省や刑罰っていうのは、できることなのか、機能しているのか疑問に思ってきてしまいます。裁くというのは、手遅れ以外の何の意味もないんじゃないか。過去から反省を引き出すことまでもシステムとして妨害してくる。