歌を聴いてきました

先輩がバーで歌うっていうんで聴いてきました。
下谷のバーのCHESSってとこで、緒川ミヤコさん1stライブ。

歌を作ってることは全然知らなくて、バーで歌うってのが、どういうことがイマイチよくわかってなかったんですが、文字通り、バーの開いた夜に、若い女の人がライトの中でピアノを弾いて歌う。で、客は酒飲んでる。


学生時代や街中にいたりアホ話をしたりするところを見たことがあって聴いたことある声なのに、歌いだすと全く違う人で、なんとも不思議でした。同じ人なのに、重ならないんですよ。
これが知らない一面を垣間見るってことなのかーと思ったりもしまして、その後しゃべってもらっても、どーにも別の人のようで、酒の力で無理矢理補正しました。
人が歌を歌うことが不思議というか、自分の身近にあった表現手段っていうのが、人間の生身を離れるものばかりで、文章や絵にしても作者の肉体はいらないんですが、歌を歌ってる人の、表現と生身がぴったり重なることがとても不思議でしょうがない。

私の好きな文章や絵とかそういった表現は、生身を忘れるふりすることから始まって、しかもいかに忘れ去ることができたか具合で出来を量っていたんで、昨晩の生身をフルに使う表現に衝撃を受けたのでした。
モダニズムが好きだったのも、その方法自体が生身とか日常とか意味とか、とにかく、ここから遠ざかるための手段であり、何より昔に流行ったやり方だという距離感がたまらないんですが、歌は正反対に今という時間にすごく牽き付けてくれていいもんです。
すばらしい夜でした。



で、肝心の歌の感想ですが、大人の歌でした。大人の女性ですよ。
なんか超危険っぽい崖付近でぐずぐずしてるかんじの危なっかしい人見つけたけど、それが年を重ねて子どもではなくなってしまった女なんだからしょうがない、手出せないみたいな、手の届かない具合がとにかく大人でした!
子どもの尾が切れない人なので、ポイント外した変な感想になってすいません。うーん、自分には絶対に描くことができない類の、生身の女性であることを謳歌して苦しんだりしているところから出てきていて、それを自分の声で歌うんだからそれはそれはとても強い方法の表現で、さっきの話に戻ってしまうけど、生身があるっていうのはとにかく新鮮で、とてもすばらしいことだと思ったのでした。