『人生は廻る輪のように』エリザベス・キューブラー・ロス

精神科医として死ぬ患者と家族を支援した『死ぬ瞬間 死とその過程』が面白くて次何読もうかと。これはスピリチュアルに行ってしまった後の晩年の自伝で、ほぼ最後の本。
前半部分の激動の時代は、レアもレアな三つ子として生まれた幼少時代の思い出から、スイスのいいとこの保守的な家庭で女医を目指す話、ホロコーストの当事者に会う話、戦争の復興支援する話、めっちゃんこ面白かったです。

そして問題のスピリチュアルパート。
結論から言うと、たぶん本当に起きてることで、その捉え方の一つであろう、という範囲。
最近の本で、死の前後の意識について、科学読み物として読み応えあるものあります。『人はいかにして蘇るようになったのか』とかズバリ。山で死にかけた登山家100人に聞きましたみたいな『死の山脈』だったかな、彷徨中に隣に誰か(はぐれたバディ、遠くにいるはずの友人、死んだはずの親、神、…)がいるという確信を持って死を迎えるまで孤独ではなかったり、死が近づくときのビジョンの共通項だったり。もう少しこの山で死にかけてるときに誰かが隣にいるってう体験だけを集めて伴走者みたいな名前付けたルポもあったと思う。(『サードマン 奇跡の生還へ導く人』)
死を目前にした時間に、人体の基本設計の一つとして、何か共通する出来事が起きるんだろうっていうのは、個人的に信じています。臨死体験ってやつだ。霊的体験とかいう全能感とか万物とつながるかんじも、統合失調のかんじとか精神科の薬飲んでるときのかんじと同じもんだと思うんだけど、現実が崩れ落ちることって劇的だし、それをポジティブにとらえるために神とか前世とか魂とかそういうの信じちゃうんだろうなと思います。

でも、それってあくまでも、非常事態なんですよ。社会の主流、日常ではないので、社会からはみ出た感ある人がスピリチュアルって領域にハマるんだろうなあ・・・こういう価値観にハマってしまうと、今までの日常から続く世界っていうのを信頼できないんだろうなと思います。そういうわけで後半は戦闘的、被害妄想的で、スピリチュアル系の本にあるあるで辛い…