『メモリアル病院の5日間』

読んだことないタイプのドキュメンタリー。すごかった。告発の書でもなく、啓蒙の書でもなく、感情的なストーリーでもない。記録を読ませるためのストーリーであり、結論を急がない。日本のルポだと古来から結構感情的なんで、次世代のドキュメンタリーだなって思います。
ハリケーンによって電源が喪失した巨大病院の惨状のルポから、そこで安楽死が行われたのでは、という疑惑がどのように表に出て、報道されて、何をもって一応の解決とされたか。取引や倫理、医者個人に責めを負わせる司法制度への医者の反対や、医師が勤務していた民間病院の会社を相手に取った裁判が同時並行で起こされていて司法判断が賠償に影響があるなど、現在ある制度の追及の方法では、真実は明らかにされなかったし、限りなく事実に近い推測はされても、それに対してスマートな解決方法も見つかるものでもない。何と戦えばいいのか、怒りはどこへいけばいいのか。
医者個人がやったかやってないかっていう安楽死疑惑は、個人にそんな判断をさせる状況まで追い込んだ、という病院組織や行政システムの問題でもあって、何を罰して何を改善するべきなのか、丁寧に調整しないと解決しそうにない。罰は最善の方法ではないかもしれない。たとえそれが20人近くの安楽死の疑惑であっても。避難できず生き残る見込みのない患者を、医者自身の命も危うい状況で地獄のような悪環境の病院に見捨てて苦痛のまま死なせなることは許されるのか、組織論から個人の判断の問題にすぐに往還してくる。(これまたやるせないのが、連絡ミスと検討不足の避難できないという誤情報流れて避難の最中に安楽死が行われていたので助かる可能性があったり…ぐるぐるぐる
また、トリアージという制度も、実はトリアージにも何種類かあって、どの基準とるかで生かす順番が変わるんですよ。すなわち死ぬ人間を選ぶことが医者に許されるのか。当たり前のように社会的リソースの高い人を優先するのは正しいのか、死にそうな患者から助けるのか、助かる見込みの多い患者から助けるのか。そんな判断が人間に許されるのかという。実際は現実に為されてしまうわけですが。
考えたことのないことはできないので、有効な計画を事前に立てることの重要性、というのが結論らしい結論でしょうか。