GAME ON

お台場の科学未来館の「GAME ON」という展示に行きました。ゲームの実機を遊び放題なイベント。少し前に、日本のどっかで開催終わったのを知って行ってみたかったな〜 と思ってたところで、偶然今やってる!と知ってちょっと覗いてきました。
入場料払うとどのゲームも無料。タダゲーセンだ!

ゲームが好き。ゲームって、人間の認識を、鏡として見えるようにしたもので、限定された時間、空間の中、長いものも短いものも、ふざけたものもまじめなものも、どれにも真実があるように思います。
ゲームがその表現の制約から、すごく抽象的であったのが、現実に近づいてくることを成果として示している展示で面白かったです。この、VR(ヴァーチャルリアリティ)全肯定の空気って、逆説的にまるでディストピアとかSF映画みたいなの。

個人的には、ゲームは現実から離れたものだと思っています。別の世界。別のリアリティ。現実の風景にポケモンが飛び出すVRのデモ見たとき、これはいったい何なのか、すごくショックでした。ヘンな話、ゲームより大事な現実があるから、ゲームが大事っていうか。
生きてる時間の中で、自分の人生に1回しか起きないライフイベントと、ゲームのイベントが等価地になってしまうのはなんか違う、という感覚があります。
これたぶん古い感覚。まんま経験機械の幸福論(それにつながれると経験したいことを経験できて快適な状態になる機械に脳みそだけつながれる、全ての経験は実際には起きていないっていうのは幸福か@ロバート・ノージック)の哲学の話題なんで古い。ファミコン時代に、VRを扱った小説の『クラインの壺』とかね。ゲームに関して惹きつけられるのは、この自分が実際に体験しない経験とは何なのか、っていう領域です。
完全なVR上で人生を送っているのでは無く、日々体の衰えを実感する身としては、自分が不可逆の時間を生きている肉の塊であることを自覚しないまま、人生を終わってしまうのは、悪いことのような気がする。
ゲームを現実の鏡、そして未来として見ている感覚があるので、冒険的で反社会的なイメージでもあってほしいけど、今の時代メインカルチャーとして讃えられているじゃないの。もう。

そんなことはさておき、
ゲーム黎明期のゲームが実際に遊べるコーナーは、まさか自分で触れる時が来るなんて、っていう感動。名前はみんな知ってるATARIのPON!を、小学生が遊んでる!
春休み中だったので小学生がうじゃうじゃしてました。遊ぶための機械、古いアーケードゲームの筐体に小学生が遊んでるっていうのは、見たことないしこの世に存在したことも無いだろうに、不思議に懐かしいような光景に見えました。なんでかなあ。
モニターの都合で館内は照明が落とされていて、でもゲームセンターのような閉鎖空間ではなく、天井の高い広々とした空間にゲーム機が並んでいて、子供だらけという、ぼんやりした夢を見ているような、というか白昼夢とか幻視みたいな、非現実的な気分になりました。ここはどこだ。インカムもタバコも不良も、帰宅してから明日の宿題とかない、明日もない未来でも過去でも無い、夢と理想だけの場所なんだ。

ギャラガはキラキラしていて綺麗ですねえ。
キラキラした星、キラキラした小粒の宇宙人が極小のキラキラした弾撃って襲ってくる、キラキラした凶悪でキッチュな宇宙で目が痛い。
アフターバーナーに座ったらさ、ターミネーターのコナー少年が座ってたゲームだよこれ。機体のローリングや上昇が、実際の空間ではなくて、そう見えるように「描かれた」空間だってことは、もう発想がアート。

携帯ゲーム機をおもちゃの系譜に位置づけたり、ゲームを文化として既存の文脈に近づけて理解しやすいようにカテゴライズした良い展示だったと思います。でも、今までSFの話だったVR用デバイスが一斉に発売されてVR元年となった時代なので、VRに関しては暖かい肯定的な空気が、そういう空気だっていうことに違和感覚えるほど、まだカテゴライズできない現実でした。どうなるんだろうね。バロウズとか、よくあるSFみたいにVR禁止される未来もあったりするかもね。

ネタ的なとこでは、古今東西のゲームが展示されているので、鉄騎コントローラーに群がる小学生というおよそこの地上に今だかつて存在したことがなさそうな光景が見られました。(AT車と同程度の訓練が必要と言われる、巨大なコントロールパネル(横90センチ+フットペダル)数十個に及ぶボタンとレバー操作を覚えてロボを動かす家庭用ゲーム)
あと、ダライアスを見かけなかったような気がする。横3画面という長〜いモニターとボディソニックしちゃう音響がインパクトある筐体なんで、あってもよかったような。・・・ほらマニアはすぐ自分の好きなゲームの話しちゃう!