『氷』アンナ・カヴァン著 山田 和子訳

翻訳が間違っているんじゃないかとか、そんな疑いを持ってしまうくらい異常な文章のつながり方する。そう、つながりが異常であって、詩的とかファンタジーの飛躍なんだけど恐怖の疾走によるショートカットとでもいうような…恐怖を弄ぶ距離0で、生々しい恐怖と希望、絶望、楽観、悲観のアップダウンで聞きしに勝るものすごい文章。
でも、これは好きな人は好きだろうなあっていう、純度とピンポイントな感覚ありました。これは確かに他では読めない。
登場人物の境界がとろける、抽象の世界と混ざり合うというかセカイケイのご先祖様にして究極というか極北というか。

新装版は改訳でそっちのほうが全体としてはいいんだけど、図書館で取り寄せた30年前出版のサンリオSF版は、訳者の言葉とブライアン・オールディスの序文が差分。序文が違うと印象もちょっと変わりまして、とくに新装版は広く紹介するような序文がついてくるんで雰囲気とネタバレ先に知っちゃうというかこちらもいいものなんだけど、直接著者に会ったことがあるという関係の近さの序文のほうが、より内向して閉じた強固な一冊という印象です。好きなら2冊ともマストバイ。
サンリオSF版のあとがきを書いたとき訳者が30代、そして新装版では60代、そこもあわせてなかなかない読書体験でした。

「少女」という登場人物について、SF漫画の大御所長谷川先生のJコミで読めるエロマンガの『堕天使伝童羅』をなんとなく連想しました。この被虐。意志の薄さと被虐を煽る「少女」像は、SFという浮世離れした読者たちSFファンジンの大好物だったんじゃないだろうか。『たった一つの冴えたやり方』の、純粋無垢のロリBBAと並ぶタイプだと思いました。私もこういうの大好き。SFジャンルって枠だと、そういう浅さでも消費できる。おまえはSFをなんだと思ってるんだ。