『重い障害を生きるということ』 高谷 清

とても読み易い2011年の新書。
山のように本がある中で、クズ本も書き飛ばした本も仕事で作る本もあるじゃん。ジャンル関係なく題材がスゴイとか文章スゴイとかいろいろあるけど、ものすごい本だった。
障害の当事者ではなく、小児医療に戦後間もなくから携わってきた方で、まだご存命で、インタビューとかWebにありました。
https://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/3400/252181.html

内容重過ぎそうで、タイトル知ってもなかなか読まなかったんだけど、たしかに人間や社会にとってとても重要な1冊であろう本で、これを読んだことない人がいて、違う考えの人がたくさんいるんだってことを、読後まず感動と困惑のうちに思ってました。
社会はそうならなかったんだ!別の社会がある!っていう… 
社会に貢献できない人間は無駄っていう思想が現実の姿としてあったころから、別の社会が生まれた、今もある、ということになるのかなと思います。今私が生きている社会とは隔たっている。だからこそ、知らなくて感動したんだけど。

社会に生きてるとやっぱり、人間が大事っていったって、仕事できて有能でサクセスしてたりしなきゃ意味なくて生きていけないんじゃないかって、自分が苦しんだりすることもあるわけです。特に、お金が絡んできたり、老いてきたりして体調不良だったりとかすると。

健康な児童のための施設や医療だからと、保険も適用されず医療施設もなかった戦後すぐの行政との調整会議で「違法だが現状維持」結論があったり、篤志家が自分の子のために施設を作る、自身も障害がある民間人が調停員として関わっていた離婚裁判でどうにもならずに堀に飛び込んだ母親から障害のある子をひきとったことを報道されたら捨て子されまくってしまったことをきっかけにムリくりで作るとか、流れ自体も非常に興味深いものでした。最初は違法だし、明らかに無理だし、ほとんど反社会的。
でも、違法とされて入院継続ができないと議論にあがった児童たちの詳細っていうのが、すごく社会的な状況。日本脳炎や高熱後の細菌性髄膜炎による後遺症とか多いんだけど予防摂取が無い環境のせいだってすぐ思い浮かんじゃうし、戦争直後の親死亡や貧困とか、無手当通り越して社会の迫害とか、先天性も後天性も変わりなく個人の責任でないし、どうにかなる状況ではない。

この民間人の篤志家は、検索するとパチンコ業界の人で、業界サイトに経緯あったりする。
http://www.nichiyukyo.or.jp/contribution/contribution001.php
パチンコなんて金そのものが飛び交うギャンブル業界と、1人の人間が二つの世界に生きて、本当に人間ってなんだろう…と思います。
で、
そんな仕事も誰もやりたくないわけで、秋田から集団就職する女性を美談にした話「おばこ天使」のその後も面白かった。
上記のパチンコ業界サイトの記事だと労組が入ってきちゃうまでの開設当初の様子を理想郷的に回想してるんだけど、

おばこ天使と呼ばれた女性たちの中には、昼間は看護助手として重症児の介護をしつつ、夜は看護学校、保育専門学校等に通い、資格を得て他の施設・病院等へ転職していく者もいたが、無資格の看護助手という弱い立場で長時間労働、低賃金など待遇面での不満と過酷な施設労働の現実から、心身ともに疲れ果て数年で離職し帰郷していく者も少なくなかったという。

療育の中心になるのは保母や指導員だが、その定員は少なく、有資格者の確保も難しいとなれば、看護助手や療育手という名の無資格者を募るしかない。そういう意味で、おばこ天使は財政難の重症児施設を救う安上がりの施設経営でもあったのである。こう言っても小林園長らの施設経営を批判しているわけではない。国の低福祉政策のもとで、少ない運営資金により追いつめられた小林らが、個人の“愛と善意”に頼るしかなかったのも、また事実なのである。

http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/KY-AA12318206-6001-1-03.pdf?file_id=21982
http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/KY-AA12318206-6002-03.pdf?file_id=22025

小林園長自身、陳情に診察に会誌を97号まで別ペンネームで全部一人で書くとか、超人的な活動で過労で早死にするし… 結局、お金と労働者とか仕事の能力とか、また人間と社会の問題に還ってきた感があって、あんまWeb検索しなきゃよかったなと思いました…
でも、

しかし、“愛と善意”に依存する福祉では、職員の健康も重症児の生命も、発達も守れないことを、びわこ学園の職員は療育実践のなかで確認つつあった。こうして、福祉の現場で働く職員及びその利用者の生命と権利を守る要求運動と連携した、重症児の発達保障への取り組みが夜明けを迎えたのである。

こういう風に結ばれてていまして、この「びわこ学園」の医師がまさにこの本の著者なわけで、また現実の世界に戻ってくる…どうしたらいいかわかんないけど、現実があるっていう。
全国重症心身障害児(者)を守る会の三原則の文章は、こんなの学校でもきいたことないし家庭でも宗教でも本でもどこにも見たことなくてマジで感動したんだけど、やはり別の社会だと思って今ここにある社会と相いれないよなあとグルグルグル…

一 決して争ってはいけない 争いの中に弱いものの生きる場はない

一 親個人がいかなる主義主張があっても重症児運動に参加する者は党派を超えること

一 最も弱いものをひとりももれなく守る

本そのものを読んだ後はまじで感動してる。
非常に不謹慎ですが、極限の人間の形なので、読むだけで安全な立場にいながら底つき体験のようなものが発生してしまい、人間としての自分を見つめ直すきっかけにもなりました。
自分の価値の無さとか将来の不安とかに頭がいっぱいになってるときとかに、人間とは何か、自分の人間としての価値の確認に、こういう本を個人的に消費してしまったことが申し訳なくなってくる気もするし、これこそ読む意味あったような気もしてきます。


メモ
このサイト、こうした話題についてあらゆるテキストを収集していてすごいんだけど、プレーンテキストが簡素なんで、誰か匿名の変人が作ったのかと思ったら立命館大学
http://www.arsvi.com/