『ひょうすべの国』笙野 頼子

『水晶内制度』も装丁が透明感あって、なんかこう、長野まゆみみたいなジャンルかしらと勝手に思いこんでたんですけど、中身と全然あってないよな!と思います。でも根本はこういう透明感な気もして、中和していいかんじなんだろうか…

出てくる単語が今どきで若い。的確で間違ってない。「艦これ」の単語が、一般的な意味も正しいし、小説内での文脈にも的確にハマる不思議さ。だから、小説として現実からの高度や距離感持ってるところと、単語が卑俗で正確過ぎる故の、世相を愚痴った老人のブログ読んでるような居心地悪さを同時に感じる。テーマは、この日本の今。現在。そして、ディストピアSF。正確で、未来でもなんでもなく、今現在なのがつらい。

文体がとにかく特徴的なので、普通の男はこれ読めるのかなあ。

病人殺すな!赤ちゃん殺すな!田畑無くすな!こども、たべもの、くすり、ことば、みんな、人喰いのえじき!TPP!TPP流せ!TPP!TPP流せ!憲法戻そ、TPP流せ!原発止めよ

こんな冒頭見ちゃったら、続きはまず読まないし、読んでも怒りと軽蔑で目がくらむだけだろうなあ。
世を憂うあらゆる類のおばさんのブログ、自然食品系、フェミ系、骨盤とか子宮とかなんとか体操、スピリチュアルその他風。でもそれをあえてのポーズも感じる。つまりこの社会の一般や、規範からはみ出した女の口調。
一般的な感覚では聞きたくない、ダサい、70年代反権力のシュプレヒコール風の、いくらでも揶揄できる文章だけど、やっぱり、この言葉になるんだよっていう。よくわかって、それを真似たり、今の言葉を使おうとしてる確信犯だと思う。

というか、
私は今これを一生懸命「諧謔や俯瞰と小説視点がある。」とか、「これは、あくまでも小説のレトリックやだから、小説として面白いよ!」と説明しようとしてるんだけど、それってなんだか変なことで、本から現実切り離して、マジな人間を避けようとしている私の態度だなと思います。だってホメオパシーとか猫譲渡とかなんかナチュラル系とか電磁波とか放射能被害を受けてますみたいな、愚か者だったり明らかに間違ってると思う人間の言葉と似すぎてて、これを好きだとか褒めるとかすると、頭おかしい人の仲間みたいなんだもん。最後まで読んでない人間とか、そもそも読んだことない人から、バカにされるの耐えがたく、はずかしいほど、外見はそんなかんじ。でもまあ、まさにそのバカにされるど真ん中である。アーティストも同じ人種で、深い分析や調査しないで事実や正確な理解とは異なる、ただのイメージや説明しようがない確信の直観で世界を語る。良い悪い両面であって、炭鉱のカナリアの先触れのようでもあり、誰にも信じられないカサンドラの予言を地で行ってる風もある。見ている風景の違いの怒りを表現する文体として似るんだなと思います。

居心地の悪いことこの上ない文章。現実をわかりやすく、わかったこと、感じたことを描くこともまた、小説。事実だけが文章ではないし、事実でないことがイコール嘘でもない、それは今を材料にした未来の言葉なのだから。詩でもある。大きなことを抽象して書く、切れ味のよさ。
過激さや、狂えるほどの苛烈さ。それを文章としてだけ楽しむことも欺瞞だと突きつけられるほどに、単語が現実過ぎて、警告の書で暗澹。まあでも将来こうなるだろうなあ。