『ヒロシマの歌』今西祐行

こういうストレートに戦争モノのタイトルついてると、引くよな。っていう敬して遠ざける空気にも関わらず、私は単に刺激を求めてこの手のジャンル選んでるだけという露悪的態度をとらざるをえない。
あまりにも、こういった事象をとりまく言説が複雑過ぎて、なんか左翼ヤバいのもいっぱいあるし、宗教かよみたいな生理的にムーリーなのもあるんで、娯楽として距離をとりたいです。無神経に面白がるためだけに読むぞ。

有名な児童文学者さんですが、大学の同人誌掲載の初めての作品も入ってまして、若書きなせいか文学の香が残ってて一番面白い一遍でした。貧困伴う朝鮮人差別の雰囲気って、周りにいないと何のことかわからないだろうし、今はこういう作品が世に出るところは、ファンタジー以外は無理なんじゃないだろうか。異民族が現実にいて、それゆえの悩み苦しみ、解決は現在もしてないんだから、話の中でも書かれていませんでした。

ヒロシマものについては、こうしてつくりごとにしていいものなのか、判断を保留したい。児童文学でも、戦争ものは反戦色薄めのドキュメンタリーはよくできてるなって感じて素直に受け取れるんですが。
題材を、こうしてつくりごとの小説に加工することの是非は、激しく問われたりしたんじゃないかなあと思います。意地の悪いことをいえば、お涙頂戴の感動ストーリーにしてしまっていいのか。それはプロパガンダの裏表なんじゃないのか。でも、伝えるために、そうしたんだから。ぐるぐるぐる。

あと、教科書に載ってる「ひとつの花」なんか、よくできてる行間がすごくある小説で、これを小学生が読み解くんだからそりゃ国語が苦手っていう脱落者も出るよなあと思いました。アスペ気味だと大人でも無理すぎ案件じゃないのかしら。国語で扱われる文章と、社会に出てから使う文章の乖離を図らずも思うことになりました。